ん。私は一か月に原稿用紙に五百枚より多くはどれほど努力しても書けそうにありません。
庄原にいらした時のあなたの精力に比して、四分の一くらいしかエネルギーがありません。ですから「出家とその弟子」を六幕書いたのでも私はずいぶん努力がいりました。少し長くつづけて書いてるとすぐにからだにさわります。昔から病身でずいぶんたくさんな作をした人があります。よほど忍耐と勤勉とを要したであろうと察せられます。
私は今アヤスを読んでいます。フィロクテテスの時もそうでしたが、自分の呪わしき境遇を天地の名によって呻き訴えるところなどにほんとに底のある力を示していると思います。私は「人類の愛」という喜劇を描いています。「生命の川」は廃刊するのかもしれません。二月号を出すという通知もまだ来ないようなことですから。
私は語る友もなく侘しい新年を迎えて、あなたがたの東京での集いを少しお羨《うらや》ましく思っています。いずれ手紙は出しますが、みな様によろしく伝えて下さい。江馬さんが新年の雑誌にかいたものなど見せてもらって下さいませんか。ではいずれまた、たのしくお正月を送って下さい。少しは遊戯などもして正月らしくお暮らしなさい。さようなら。
[#地から2字上げ](久保正夫氏宛 一月一日。丹那より)
春知らぬ従妹への同情
あなたの一月三日出のお手紙を読んで私はあなたの細々とした御親切に深く動かされました。あれを読んでいると、あなたが心から私を愛しそして憐れんでいて下さることがよく現われています。そして私は、私の作の発表の便宜がたとえ与えられなかったにせよ、私はその愛で十分だという気がしきりにしました。
私は私の心があせっていたのを感じました。そしてそれは私のような地位にいるものには無理はないとはいえ、純粋な芸術的衝動を濁すものと思いました。
あなたは「青年」や「母たちと子たち」や、短篇集や、すぐれたものを幾つも発表する機会をまだえないで忍んでいられるのに、私はなぜ作品を公けにすることを急ぐのか? そのような機会があってもなくても、創作活動はそれとは独立に起こるのではないか。私は黙っていい作を創ろうという気が強く動きました。そして私は愛と祈りと仕事との生活を今までのとおりに忍びをもって続けてゆけばいい、その必然の道筋で私の仕事が民のものになるだろうとは思いました。その時私はすぐに、私
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