つも運命を受け取る覚悟と謙遜とが必要と思います。あまり永く御無沙汰したから今日は私のことのみ書きました。姉の戒名は釈貞室妙証大姉と申します。
 一片の回向《えこう》をお願い申し上げます。[#地から2字上げ](久保謙氏宛 七月二十日。庄原より)

   久保正夫氏宛

 お手紙読みました。
 ひとりの姉を喪うて二七日の法事もすまぬうちに、尾道から今ひとりの姉の病気篤しとの電話がかかって、父はあわただしく尾道に参りました。それから三日後にその姉の死去の電話がかかりました。母は三年前に別れたきり会わないので、見舞いに行くといってたのが、急に死なれて臨終にも間に合わなかったのを残念がってほとんど狂うように泣きました。私と妹とは両方から取りすがってなぐさめかねつつ共に泣きました。同じ月に二人の美しい若い娘を失った母親を何といって慰めましょう。二、三日後に父は疲れたかなしみを耐えた顔つきをして帰宅しました。父は物静かに臨終や葬式の模様などを話しました。母はまた泣きました。私と妹とは頭を垂れて聞きました。その後の私の宅の空気は喪の感じにこめられてうち湿っています。母が夜な夜な仏の前に火をともして片言混りの経文などあげているのも哀れですが、ことに老いたる父の忍耐深く、老母のこれも遠からぬ死に脅かされているのの手あてや、家事を支配して倦むことのないのを見るときに、私は気の毒でなりません。私も気がくじけて手紙をかくのも物憂くて、こんな御無沙汰になりました。お許し下さい。
 あなたのお宅も相変わらずの不調和で、そのなかにあなたが棲《す》んでいられるのは何ともおいとしいと申すほかはありません。おつらいことと深く察します。しかし忍耐なさい、というほかあなたを幸福にする道を知らないのを悲しみます。わけてお母上をそのような境遇に置いて見ていなければならないのはやりきれますまい。ほんとについに墓に入るまでそのような重荷を持ちつづけなくてはならないようだったら、そしてそのような運命は人間のみな負わねばならないもののように私には見えだしました。やはりトルストイなどの考えたような、罰せられたる、負債を払う生活というのが人生の真の相のような気がします。私は父母に向かっても現在の不幸のなかにあって、しあわせな未来を約束することもできません。
 先日父と二人で種々と話しました。父ももはや未来のしあわせなこの世
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