られて同情いたします。人生はどこへ行ってもイヴィルがまとわっていますね。私が今日別れた人々のなかにはもはや二度とは会えそうにない人々もかなりあります。ともかく私は別れて帰らなくてはなりません。あなたの「母たちと子たち」についての私の感想は、帰国後書き送ります。今は心せわしくてその暇を持ちませんから。
秋からは東京に行かれるようにする気でいます。妹の写真はとる暇がありませんから、前のを焼き増して送るようにして置きました。では今日はこれで失礼。「母たちと子たち」の原稿のいたんでいるのは、中外日報社から来た時にそうだったのですから、そのおつもりであしからず思召して下さい。[#地から2字上げ](二十二日。京都より)
死にゆく姉
無事御帰省なされ日々|障《さわ》りなくお暮らしなされます由、安堵いたします。なにとぞ私の家を訪れたような不祥があなたの家庭に起こらぬように祈ります。私は京都を出立してよりさまざまな不幸にあいました。尾道に夜遅く着くと思いもよらぬ姉の重患にてちょうど担架にのせられて出養生《でようじょう》するところでした。私はこの姉の病気のことは全く知らなかったので驚きました。そして叔父に容体をたずねると「この夏を過ごすのはむずかしい」と医者がいうのだそうです。叔母は私たちを見ると泣きだしました。その時私は叔父から国許の祖母もまた重患にてとても助かる見込みのないことをききました。私は恐ろしいような、何かの罰のような悲しみと恐れとを感じないではいられませんでした。尾道の姉は私の姉妹のなかでも最も美しく情深く私はひそかに誇りにしているほどなのにもしも亡くなったらどうしましょう。しかも私たちは国許の姉の病篤く尾道にて姉をいたわる暇もない身でした。翌日尾道を出発したところ、広島への途中汽車中にて妹ともはげしい腹痛が起こり広島に着いた時は吐瀉《としゃ》はげしくやむをえず広島の親戚に三日間苦しい、いらだたしい日を送りました。広島を出発して帰る途中は水害にて線路がこわれ兄妹は病後の疲れた足で二里も徒歩せねばなりませんでした。ために時間は遅れ雨風ははげしく三次に着いた時には日も暮れてやむなくその夜は旅館にあかしました。兄妹は宿屋の淋しい燈火のそばに悲しみと疲れに黙して雨風の音を聞きつつ「今夜の嵐で橋が落ちて帰れなくならねばよいが」などと心配なことを考えていました。
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