ぎました。そして六日目にお絹さんも決心して今日の午後には必ず広島に帰るといって食後二人でまた悲しいことばかり繰り返して語っているところへ、突然警察署から巡査が来ました。そして二人は福山警察署に連れて行かれました。
 警察署に行ってみると、尾道から私の叔父が来ていました。あとで事情を聞けば、お絹さんは私が庄原から一燈園に行くという手紙を出してから、常に病院で悲しそうな顔ばかりして、「私は死ぬ死ぬ」と朋輩の看護婦たちにいっていたそうです。それが「ちょっと宮島に行って来る」といって病院を出たきり六日も帰って来ないので、病院のほうではほんとに死にでもするのではないかと心配して、警察に保護願いを出したものとみえます。
 私たちは病院のほうで前からの関係を知られていたのでした。私たちは警察でまことに腹立たしいまた恥ずかしい目にあいました。私は叔父に連れられてその日の午後尾道に帰りました。お絹さんは巡査に守られて病院に送られました。私が警察から帰る時お絹さんは後に残って泣いていました。それから私たちは会いません。私は親戚《しんせき》ではげしく叱られました。また正直な国許の父は警察沙汰になったのをひどく不面目に感じて、私を恨みました。私はお絹さんの身の上を心配して、お金や電報や手紙を出しましたが何の返事もありません。どうしているのかわかりません。ただ病院のほうは辞職して太田看護婦会長の家に監禁せられていることだけわかりました。国許の両親はお絹さんをお嫁にもらえと勧めます。また親戚もみなお絹さんと結婚せよと勧めます。そうすればお絹さんもどれほど悦ぶか知れないのです。けれど私は今は宗教的生活の深いねがいを持っています。それに妻を養うかいしょがありません。今の私の心に描いている生活はどうも結婚生活とは調和しそうにありません。私は一概にお絹さんと結婚しないというのではありません。けれど今の私はそんなことをしてはいられない気がするのです。
 私は一昨日尾道を無解決のままに放擲しておいて京都に来て西田さんに会いました。そして西田さんの話を聞いてまことに畏れ入りました。私はこれまでの私の生活やまた文壇の今の人々の生活などの虚偽と空虚とを衝《つ》かれました。そして恥ずかしくまた uneasy になりました。
 私は西田さんは実に偉いと感服しました。この後は一燈園にとどまり、天香師を善知識として修業
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