なくて、メッシヤとして子を神に渡した聖母のあくがれのなかにマザーフッドの高められたる姿が見いださるべきものと考えられます。私はなにものをもむげに斥けはしません。恋も骨肉の愛もエルヘーベンされた姿において、再び私に帰り来るものと思います。私は肯定の勇者光の子になりたいのです。私をどうぞ乱を喜ぶもの、悲苦を求むるものと思って下さいますな、私はキリストが自らは独身でも婚莚《こんえん》を祝し給うたように、他人の楽しさ安けさを祝さぬことはできません。やかましい裁きは私のねがいではありません。けれど自らはどこまでも厳しく裁く気でいるのです。西田さんなども菜食をしていても、他人の肉食を責めはしませんそうです。主義として独身ではなく、おのずから独身だそうです。
 あなたがインテレクシェルな生き方から、愛の体験のなかに入り、他人の不幸や悲哀を分けもつことが深くできるようにおなりあそばすことはまことに嬉しく存じます。私は日本の思想界に最も欠けたところは、濡れ輝く愛の個性に乏しいことと思います。Aさんなどの思想が愛を取り扱うて、しかも深く人の心を動かさないのは、深い悲哀と無常と、そして運命の感じとが沁み出ていないからではありますまいか。私はあなたのお書きになるものでは、やはり、あの短篇集などが最近のものだけに、最も潤うているのではないかと思われます。やはり悲哀と運命とは感動の源ですね。そちらのほうにあなたの歩みの向かうことは、あなたの作の深くなる源であろうと思われます。
 私は、やはり、心のあくがれが、私を淋しい僧院のようなところに誘います。謙さんに申し送ったように、西田天香さんのところに教を乞いに行く気でいます。たぶん東京にいられるのでしょう。御住所がわかれば、早く準備して、両親に頼んで、出してもらおうと思います。姉は来年にならねば帰りません。私は、深い悲哀の味を知った、お翁さんみたいな人の慈悲に包まれたい気がします。そして私自身は、慈悲深いモンクのようなものになって、世の傷ついたたましいの一つの慰めの Refuge になりたいのです。私は忘れ得ぬ人々のさまざまな淋しい生活を思うときに、それらの人々の友としてだけでも生きていたい心地がいたします。いつでも私を愛してくださいませ。
 本田さんも不幸な人ですね、私の家に今日は来て下さるはずですけれど、この雨ではどうですかしら。
 お絹さんは
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