造物としての互いの従属を防ぐるものと思います。求めずに、ただ与えようとすることは傲慢《ごうまん》な、そして不可能なるのみならず、願わしからぬことと思われます。愛されたいねがいこそ人間と人間とを結びます。私は初め熱心に求めた人が、傷つけられたために、求めなくなる心の過程に深く同情します。けれどそれはあるがままの社会に不調和があるためであって、神の国に民たる人はその大切なツーゲンドとして、求めることアクセプトすることの自由がなくてはならぬと思います。エス様もよろこんで求めかつ受け取りなさいました。罪人からも税吏からも、ニイチェなどのいわゆる「与うるもの」よりもフランシスなどの、日の光をも恵みと感じた心の持ち方を私は喜びます。いつかあなたのおっしゃった Ich bin weil ich geliebt werde. の心地が最ものぞましいと思います。私は自分を全きものとしようとする努力は、常に自らと共存者とを調和のなかに従属せしめようとするねがいとはなるべからざるものと考えます。他のものをふみ越えて成長しようとする心は、神の子の属性ではありませんね。私はこの頃つくづくキリストがニイチェよりも深い感情の持ち主であったと思います。征服欲などは、所詮、運命を知らざる間の出来心にすぎませんね。私は私たちが造られたる物であることを意識することが、人と人との従属の鍵だと思います。私は愛を求めましょう。神の恵みと同胞の愛とに依属せずに、生きることはできないのは、たしかな事実であって、それを認めないのは、自分を知らないからだと存じます。私は宗教は汎神論でなくて、一神論、世界は現象即実在でなくて、「彼の世」こそわれらの誠のふる郷とする世界観がたしかであると思われます。私は二元論でさしつかえないと思います。これらのことは今は私の心持ちだけに止めておきましょう。
親と子の問題はクリストリッヘ、リイベの必ず一度は衝突するはずに思われます。私の理想はこれをも、再び包摂して、けっして誤謬《ごびゅう》として捨て去るつもりではありません。しかし、そこには天よりの Reinigung がなくてはならぬと信じます。「母性」は、しばしば考えらるるごとく、動物の原始的衝動としての献身と哺育からではなく、別の天よりのつとめとしての価値が付せられるべきと思われます。鳥が雛を育てる心(私の二年前のあくがれでした)で
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