久しぶりのお手紙懐かしく読みました。私こそ御無沙汰してすみませんでした。あなたは転宿なさいましたのですってね。居心地よろしゅうございますか。上野|倶楽部《クラブ》というのは私には見当がつきません。しかし不忍池《しのばずのいけ》のほとりならばまあ下宿としては眺めもあって結構と申さなければなりますまいね。あなたのこのたびのお便りは私にものかなしい感じを起こさせました。私も実はあなたとかなしみを共にするほかはありません。やさしい謙遜なあなたがそのような感じをお持ちになるのはまことにごもっともに思われます。私は未来のことなど人間にわかるものではないと思います。私は一昨年以来続けざまに立てては崩れ崩れしたむなしい計画のことを思うときにつくづく神の司り給う領分に人間が侵入してはならないと思うようになりました。運命は意志以上のものです。私たちは運命は受け取らねばなりません。ただ私はその運命を善なるもの、調和あるものと信ずるのが宗教だと思われます。私は任受の生活が人間に許さるる最高のものではないかと思われだしました。私は昔はツルゲーネフなどの思想を弱いもしくは回避したものとしてイプセンなどの意志の生活を強いものと思っていましたが、今は任受の生活をもっと深い、そしてけっして弱くないものと思うようになりました。私は運命を認めます。そしてそれをわれに非なるものと感ずるときはデスペレートなニヒリズムになるほかはないと思います。私のねがいはこの抵抗すべからざる力を正しきもの、われに愛なる神の摂理として感ずるようになりたいことです。これは私の根本信念です。私はいつも申しますように世界(現われたる世界のみでなく)をコスモスと信じます。そしてその実感に達するまではいかにイヴィルが重なり来たろうとも絶望する気はありません。私はオプチミストです。光の子です。今は涙に濡れていますけれどけっして呪いの息を吐かないつもりです。「おお、美しき世界よ、よきつくり主よ、私は感謝いたします」といいうるまで、あらゆる悲しみと悲しみを耐え忍ぶ気です。
私は「毀たれざる生活」を求めます、そしてそれは任受の生活、運命とともに生死する生活のほかにはないと思われます。そのほかの生活はことごとく運命に当って崩れます。個人の意志というようなものは最も脆《もろ》いもので、それ自身では、確実に立つことはできないと思われます。私は任
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