、これは実に切実な問題ですね。私はこの頃になって初めてキリストのパンの問題の解決が徹底したものだと思われだしました。キリストに従えば財産を貯えることはその心に適いません。「汝ら行くには二つの衣をも携うべからず」です。また家族関係もキリストの本意でないことは明らかに聖書でわかります。それならパンの問題はいかにしましょう。キリストはそれは「神様が保証して下さる」と信じました。主の祈りのなかにも「我らの日用の糧を今日も与え給え」とあり、「なんじら明日のことを思い煩うなかれ」とあり、「なんじら何を着、何を食わんと思い煩うことなかれ、ただ神の言葉を求めよ、さらばこれらのものはその上に加えられん、そは天に在る父は、これらのもののなんじらに無くてかなうまじきことを知り給えばなり」とあり、これと「求めよ、さらば与えられん」というのを一緒にして考えてみれば、キリストの理想は、パンを神にデペンドして出家することにあったと思われます。キリストはそのとおり実行しました。フランシスコもその約束の上に立ちました。また西田天香氏もその約束を信じて現に出家の生活を持続しています。他人から喜捨されたものを、神の賜物として感謝して受けて暮らしています。私はこの頃この生活法に大なる暗示を受けました。そして社会主義はこの信仰に立ちたる時、最も自発的な、内面的な調和を得、神の国の地上における建設はかくしてのみ得られるのではないかと思われだしました。私は、信仰の大切なこと、そして徹底した深いキリストの心地が感服いたされます。私は、けれどなかなか信じられません。パンを神にデペンドする大勇猛心が出ません。私はしかし私の将来を純粋の信仰生活のなかに築きたい気はもはやコンスタントな深い根を張ったねがいになっています。私はそちらの方角にしだいに深入りいたします。私は心の熟す期のいたるのを待っています。「善くなろうとする祈り」はあれから大分書きました。後もう二つ三つ書けば私の書きたいことはみな書くことになります。
 謙さんはどうしていますか。よろしくお伝え下さい。いずれ手紙を出します。私は姉の帰郷するまで庄原を出られますまい。苦しくなると出ようか出ようかと思いますが、やはり出ないでしんぼうするほうがよいと思われます。
 大切になさいませ。[#地から2字上げ](久保正夫氏宛 十月二十五日。庄原より)

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