ればいいがと思っています。私はあれからまた悲しい思いにばかり訪れられましてね。私はこの頃はどうも私の両親の家にいるのが uneasy で仕方がないのです。両親を親しくそばに見ていると胸が圧しつけられるようです。私はあなた――母親思いのやさしい人に申すのは少し恥ずかしいけれど、どうも親を愛することができません。そしてまた母の本能的愛で、偏愛的に濃く愛されるのが不安になっておちつかれません。それでおもしろい顔を親に見せることはできず、そのために両親の心の傷つくのを見るのがまたつらいのです。私はわがままな子なのですよ、私の妹に家庭における私の様子を聞いてみて下さい。私はただ朝から晩まで苦しい苦しいで暮らしています。いっそのこと親が他人ならば私は苦しくても笑顔を向けて愛そうとするのに、親にはそれができないので悪い顔ばかり見せます。私はこの頃つくづく出家の要求を感じます。私は一度隣人の関係に立たなくては親を愛することができないように思います。昔から聖者たちに出家する者の多かったのは、家族というものと隣人の愛というものとの間にある障害があるためと思われます。私はあれからたびたび家を出ようと思いました。そして本田さんには長門の秋吉村の本間氏の大理石切場に行くように、また文之助君には京都在の西田天香という僧のところに行くように手紙にも書きましたほどです。しかしやはり私は躊躇《ちゅうちょ》しています。私の十字架は家に止まるほうにあるのではないかと考えます。私は私の家にいて、しかも私があなたや謙さんにするように私の両親を愛すべきでしょうか。けれどそれがなかなか困難なのです。私は依然として孝行ができません。家を出ればかえって孝行になれるのですけれど、私は家庭というもののなかには、とても安住できない人間のように思われます。私の両親ほど子に甘い親はありません。しかし私は親に対する不満と悲哀とをますます深くいたします。私はやはり出家の心、すべてのものを隣人として神の愛で愛したいねがいが強いのです。おそらくは将来はそのようになるようになるでしょう。そして親にもやさしい子になりたいと思います。
 私は今でも私にパンの保証さえあればそのようになりたいのです。パンだけは親に頼り、親のトイルの上に立って隣人となることはできないことです。といって私は病弱無能でとてもパンを得るかいしょがありません。正夫さん
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