く)清盛《きよもり》はどうしている? 平氏の運命は? わしに信じられないほど残酷《ざんこく》な運命が平氏をどう扱うか、わしはそれが知りたい。
有王 世は澆季《すえ》になったと思われまする。平氏はますます栄えはびこり、その荘園《しょうえん》は天下に半ばし、一族ことごとく殿上《てんじょう》に時めき「平氏にあらざるものは人にあらず」といわれております。清盛が厳島《いつくしま》に参詣《さんけい》する道を直《なお》くするために切り開かした音戸《おんど》の瀬戸《せと》で、傾く日をも呼び返したと人は申しまする。法皇は清盛の女《むすめ》の胎《はら》から生まれた皇子《おうじ》に位を譲《ゆず》られる、と聞いております。あらゆる暴虐《ぼうぎゃく》に飽《あ》いた身を宮殿をしのぐような六波羅《ろくはら》の邸宅の黄金《こがね》の床に横たえて、美姫《びき》を集めて宴楽《えんらく》にふけっております。天下は清盛の前に恐れ伏し、平氏にこびへつらい何人もあえて対抗しようとするものはありませぬ。
俊寛 成経はどうした。都《みやこ》に帰れば隙《すき》をうかがって復讐《ふくしゅう》することができるといった成経は?
有王 成経殿はこのたび宰相《さいしょう》の少将に昇《のぼ》られるといううわさでございます。平氏に刃向《はむ》かうことなどは思いもよらぬように見受けられます。
俊寛 父を清盛《きよもり》に殺された成経が! 康頼はどうしている。
有王 康頼殿は東山双林寺《ひがしやまそうりんじ》の山荘にこもって風流に身をやつしていられます。鬼界《きかい》が島での生活を材料にして宝物集《ほうぶつしゅう》という物語を世に出されるといううわさでございます。
俊寛 犬だ! 鼠《ねずみ》だ! わしは最後まで勇士として立つぞ。自分を売らぬぞ。有王船を用意しろ、船を!
有王 お心を静かに!
俊寛 ただ一矢《ひとや》を! わしの腕《うで》にまだ力があるうちに!
有王 船は急にはありませぬ、私がこの島に来ることができたのも不思議なほどでございます。赤間《あかま》の関で役人に捕《とら》えられすでに危《あやう》きところをのがれ、船頭《せんどう》をだましてようやくこの島に着くことができました。
俊寛 九州まで! いかなる手段をつくしても! 九州まで着けば身を忍《しの》ばして都に入り、時機をうかがうことができる。
有王 たとえ九州まで帰り着いても、清盛が草をかきわけても捜し出さずにはおきませぬ。
俊寛 ただ一太刀《ひとたち》! わしの憎《にく》みを清盛《きよもり》の肉にただ一太刀|刻《きざ》みつけるために!
有王 (つくづくと俊寛を見る)あゝご主人様何ごとも時でございます。われわれの運は去りました。
俊寛 (倒れんとす)
有王 (俊寛を支えあわれみに堪《た》えざるごとく)お気をたしかに! 栄枯盛衰《えいこせいすい》は人間の力に測《はか》りがたき天のさだめでございます。今時を得て全盛の極《きわ》みにある平家の運命もいつかはきっとつきる時が来るでしょう。
俊寛 (夢中にて)残っている! まだわしの腕《うで》に力が残っている。
有王 一人や二人の力で刃向こうても、今時を得ている平氏をくつがえすことはできませぬ。天が平氏を滅《ほろ》ぼすのを待ちましょう。
俊寛 清盛よ、お前がわしに課した苛責《かしゃく》の価《あたい》をお前に知らさずにはおかぬぞ!
有王 あの清盛の前代|未聞《みもん》の暴逆《ぼうぎゃく》が天罰を受けずにはおきますまい。
俊寛 今わしが流すこのあぶらのような涙をお前の歓楽の杯《さかずき》に注ぎ込んで飲まさずにはおかぬぞよ。
有王 無間地獄《むげんじごく》の苛責とても今のあなたの苦しみにまさりはいたしますまい。
俊寛 この苦しみを倍にして、七倍にしてきっとお前に報《むく》いるぞ! わしの足がまだわしの体を支える限りは。えゝ。船を出せ。船を!
有王 (力つきたるごとく、ぐったりとして)船はとても得られませぬが。
俊寛 たとえ生きながら龍となって大海を越ゆるとも! (衣を裂《さ》く)わしは憎む。わしは憎む。(狂うごとく)えゝ、この頭が張り裂《さ》けるわい! (ほとんど無意識に頭を岩かどに打ち当てんとす)
有王 (まっさおになり、俊寛を抱《だ》き止める)ご主人様。ご主人様。
俊寛 (有王の腕《うで》の中にて)清盛《きよもり》よ。わしの死骸《しがい》をお前の死骸に重ねるぞ! (失神して倒れる)
有王 (俊寛を抱《だ》きかかえたるまま)ご主人様、お気をおたしかに! あゝ、いたわしや。あまりに苦しみがすぎました。鬼神《きじん》もおあわれみくだされい。かかる苦しみが歴史の記録にもありましょうか。
俊寛 (われに返り、抱かれたるまま、無限の感情をこめて)あゝ、有王よ。
有王 ご主人様。気をおたしかに! 有王は最後まで宮仕えいたしますぞ。海をくぐり、山によじても食物をあさり求めあなたを養い守りますぞ。(俊寛を抱きしめる)
[#ここで字下げ終わり]

     第二場

[#ここから2字下げ]
俊寛の小屋。いそに漂着《ひょうちゃく》したる丸太や竹を梁《はり》や桁《けた》とし、芦《あし》を結《むす》んで屋根を葺《ふ》き、苫《とま》の破片、藻草《もぐさ》、松葉等を掛けてわずかに雨露《あめつゆ》を避《さ》けたるのみ。すべて乏《とぼ》しく荒れ果てている。俊寛、藻草を敷き破れたる苫をかけてねている。第一場より一か月後の夜、隙間《すきま》より月光差し入る。小屋の外はあらし吹く。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
俊寛 (突然苫をおしのけ、起き上がり、あたりを見回す)魔道《まどう》に落ちているのか。妻よ。今に、今に恨《うら》みを晴らしてやるぞ! ([#「! (」は底本では「!(」]われにかえりたるごとく)あゝ夢か。(急に自分の地位をはっきりと意識したるごとく)あゝわしはどうして死にきれないのだ。すでに三七日も飲食《おんじき》を断《た》っているのに! わしは干死《ひじ》にすることもできないのか。わしの生命《いのち》の根は執念《しゅうねん》深く断ちきれない。このあさましいわしの業《ごう》をいつまでもさらさせようとするのか。食を断っても断っても死にきれぬ蛇《へび》のように。わしの力はわしの四肢《しし》からもう失せたのにわしの根はいつまでも死にきらないのか。運命はあくまでもわしを責《せ》めさいなもうとするのか。わしは死にたい。死にたい。ただ恨《うら》みだけがわしの生命を燃《も》やしているのだ。わしは死んでただわしの恨みだけが生きているのだ。わしは恨みそのものだ。わしは生きながらの怨霊《おんりょう》だ。(耳をそばだてる)あゝ風の音か。わしの子どもが泣いているような気がしたのだが。
有王 (登場、魚と荒布《あらめ》とを持っている)ただいま帰りました。
俊寛 (なお何者かのあとを追うごとく)あゝ帰ったか。
有王 ご気分はいかがでございます。(俊寛のそばによる)
俊寛 わしの根はますますはっきりするばかりだ、わしの身体《からだ》は日に日に衰《おとろ》えてゆくのだが。
有王 (つくづくと俊寛を見る)ご主人様、なにとぞ私の申すことをお聞きください。今夜は心を静めて何か召し上がりませ。ここに魚と荒布とがございます。
俊寛 わしはもはや飲食はたったのだ。わしははやく死にたい。
有王 なぜそのようなことをおっしゃいますか、私が生きている限りはたとえご不自由とは申せ、海山をあさってもあなたを飢《う》えさせはいたしませぬ。
俊寛 あゝわしは生きていてどうするのだ。わしの手足にまだ力が残っていた間は、いかにもして一度|都《みやこ》に帰って敵《かたき》に一太刀《ひとたち》報《むく》いる望みがあった。お前からあの恐ろしい凶報《きょうほう》を聞いた時、わしがすぐに死ななかったのはただその希望のためのみであった。があまりに激しい悲しみはわしを打った。衰《おとろ》えきったわしの体を病気がむしばんだ。わしはもはやふたたび都の土を踏《ふ》む望みはない。一指《いっし》を加えることができないで敵とともに一つの天をいただくことは限りない苦しみだ。
有王 病気はなおすことができるではありませんか。命さえあればふたたび都に帰れないとは限りません。
俊寛 (苦しそうに)有王。この期《ご》に臨《のぞ》んでもはやまやかしごとを言ってくれな。
有王 でも寿命《じゅみょう》のある限りは。
俊寛 (さえぎる)わしはもはや再び立つことはできない。
有王 どうしてそのようなことがありましょう。なにとぞ飲食《おんじき》をおとりください。私が苦心してあり求めてきたのでございますから。
俊寛 わしは干死《ひじ》にするのだ。わしの呪《のろ》いが悪魔の心にかなうために。わしの肉体の力はつきた。わしに残っているのはただ魂魄《こんぱく》の力だ。わしのこの力で復讐《ふくしゅう》して見せる。清盛《きよもり》はわしからすべての力を奪《うば》った。しかしこの力を奪うことはできないのだ。人間の魂魄の力がどれだけ強いか。わしはそれを知らせてやる。清盛を呪うてやる。ともに魔道に伴《ともの》うてゆくぞ!
有王 あゝ恐ろしい。ご主人様、あなたは静かにこの世を終わってください。私は争いに飽《あ》きました。あゝこの年月私の見てきたことはあまりに恐ろしいことばかりでありました。思えば思うほどあさましい。私はこの恐ろしい世を惜《お》しいとは思いませぬ。その渦《うず》の中からのがれたい。たとえこの荒れた島はいかにさびしくとも、ここで静かに余生《よせい》を送りましょう。私が朝夕心をつくしてご奉公申し上げますから。つくづくあなたのご生涯《しょうがい》を思えばただごとではない気がいたします。目に見えぬ悪業《あくごう》があなたの氏《うじ》につきまとっている気がいたします。静かに業《ごう》のつきるのを待ち平和な来世《らいせ》をお迎え遊ばすよう、私はひたすら祈ります。今あなたの心に起こっていることは世にも恐ろしいことでございます。あなたの来世を魔道に落とさぬよう。
俊寛 わしのこの、この骨髄《こつずい》に徹《てっ》する恨《うら》みをどうするのだ。あゝわしの受けた苛責《かしゃく》がどれほどのものだったか! わしはよい人間ではないかもしれない、だが、かほどの苛責がわしに相当しているだろうか。少なくともわしは清盛《きよもり》ほど悪虐《あくぎゃく》ではないつもりだ、彼ほど人を傷つけてはいないつもりだ。天はその清盛をどのように遇しているか!
有王 あゝ私もそれはわかりませぬ、が、清盛の積んだ悪業はきっと罰《ばち》を受ける時が来ると思います。
俊寛 あゝわしはその罰を呼び起こすのだ。その罰を七倍にしてやるのだ。彼を地獄《じごく》に引きずり落としてやるのだ。
有王 ご主人様、なにとぞお心を静めてください。清盛の懲罰《ちょうばつ》は魔王《まおう》に任《まか》せてください。この世では記録にないほどの恐ろしい苛責《かしゃく》を受け、死後もまた地獄《じごく》におちて永劫《えいごう》につきない火に焼かれなくてはならなかったら!
俊寛 たとえ地獄の火に焼かるるとも清盛《きよもり》を呪《のろ》い殺さずにはおかないぞ。彼を火の中に呪い落として永劫に責《せ》めさいなまずにはおかないぞ。
有王 (耳をおおう)あゝ恐ろしい。仏様が主人の心をお静めくださるよう!
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから5字下げ]
沈黙。あらしの音が過ぎる。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
俊寛 有王よ。お前は都《みやこ》へ帰ってくれ。
有王 (驚く)ご主人様。何をおっしゃいます。
俊寛 お前はまだ若い。わしとともにこの島で朽《く》ち果てさすに忍《しの》びない。都へ帰ってよき主に仕え、世に出る道を計《はか》ってくれ。
有王 私は世をいといます。この島で一生あなたに仕えるほか何の望みも持ちません。
俊寛 都へ帰れ。都へ帰れ。
有王 私は死ぬまであなたを養い守ります。
俊寛 わしはお前にとっていい主人ではなかった。お前にな
前へ 次へ
全11ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング