んの栄《さか》えをも与えることもできないで。恥と煩《わずら》いとのみ負わせた。お前がわしの妻子に最後までつくしてくれたことは、わしの肝《きも》に銘《めい》じている。お前の一生をこの島にうずめさせてはならない。立ち帰ってお前の栄えを求めてくれ。
有王 お言葉が身に余りまする、私はあなたのためによろこんで死にます。この島に朽《く》ち果てることは物の数ではありませぬ。ただいかに心をつくしてもあなたのあまりに深い心の手傷《てきず》を慰《なぐさ》めることができないのを悲しむばかりでございます。
俊寛 わしを捨ててくれ。この島で一人死なせてくれ。
有王 私は最後まであなたのそばを離れませぬ。あなたとともに死にます。
俊寛 わしの死はもう手の届くほど近づいている。
有王 あゝ私は無常を感じます。静かにこの世を終わりましょう。来世《らいせ》の平安を祈りましょう。主従《しゅじゅう》は三世《さんぜ》と申します。
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間。
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俊寛 (何ごとかを思いつきたるごとく急に立ち上がり、やがてまっさおになりて、くずれるごとく寝床にすわる)
有王 どうかなさいましたか。急にお顔の色が悪くなりましたが。
俊寛 (平気を装《よそお》う)わしは寒い。有王、火をたいてくれ。
有王 あゝあまり夜風がきついのがさわったのでございましょう。すぐに火をたきましょう。すぐ薪《たきぎ》を拾ってまいりますから。(退場)
俊寛 (寝床の上に倒れる。やがて決心したるごとく立ち上がる)有王よ。お前の忠義はいつまでも忘れぬぞ。(よろめきつつ藻草《もぐさ》をかきわけて小屋をいであたりをうかがい浜辺《はまべ》のほうに向かって退場)
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舞台しばらく空虚《くうきょ》。
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有王 (登場)すぐに火をたきますぞ。ひどいあらしだ。(俊寛の姿《すがた》の見えざるに気づいて、驚き薪を投げる)ご主人様。(小屋の中を捜す。藻草《もぐさ》のかきわけてあるのを見る。急にまっさおになる)あゝ。(驚きあわて小屋を走りいで、月明りに浜辺《はまべ》のほうを透《す》かし見つつ急ぎ退場)
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第三場
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舞台第一場に同じ。時。第二場の直後。烈風《れっぷう》吹き、波の音高し。荒れ狂う海の上に利鎌《とがま》のごとき月かかる。雲足《くもあし》はやく月前をかすめ飛び舞台うす暗くなり、またほのあかるくなる。俊寛よろめきながら登場。幾たびか岩かどにつまずきては倒れ、また起きあがる。息を吐《つ》きつつ後ろを透かしながめ、よろめきつつ岩をよじ上《のぼ》り、けわしき巌《いわ》かどに突き立つ。手足、顔のところどころ傷つき血痕《けっこん》付着す。月雲を離れ、俊寛の顔を照らす。
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俊寛 (月をにらみつつ)いかに月天子《げってんし》、汝《なんじ》の照らすこの世界をわしは呪《のろ》うぞよ。汝の偶たる日輪《にちりん》をも呪うぞよ。かつては汝らの名によってこの世界に正しき律法あることを証《あかし》したこともあったが、今は悪魔の名によってそれを取り消すぞ。あゝこの世界をわしは憎《にく》む。わしが生きている間、わしをいかに遇《ぐう》したか。それをわしは永劫《えいごう》に忘れぬぞ。この世界はゆがめる世界だ。善が滅び悪が勝つ世界だ。あゝ、なきに劣《おと》る世界だ。かかる世界は悪魔の手に渡すがいい。悪魔よ来たれ。わしは汝に今こそ親しく呼びかけるぞ。わしは三界《さんがい》に怨霊《おんりょう》というもののできる理由を今こそ知った。わしのごとく遇《ぐう》せられて死んだものの霊が、怨霊《おんりょう》にならずして何になるのだ。(月雲にかくる)あゝ信頼《のぶより》の怨霊よ。成親《なりちか》の怨霊よ。わしにつけ。わしにつけ。地獄《じごく》に住む悪鬼《あっき》よ。陰府《よみ》に住む羅刹《らせつ》よ。湿地《しっち》に住むありとあらゆる妖魔《ようま》よ。みなその陰気なる洞窟《どうくつ》をいでてわしのまわりにつどえ。わしはわしの霊を汝らの手に渡すぞ。わしはわしに生を与えたるものにそむき、永劫《えいごう》に汝らに属することを誓《ちか》うぞ。わしの誓いのしるしを受けい。(俊寛石を拾いおのれの胸、顔等をうつ、皮膚《ひふ》破れて血ほとばしる。地に倒れ、また立ち上がりて狂えるごとく衣を裂《さ》く)あゝ悪魔よ。わしの呪《のろ》いをいれよ! (岩かどに突立つ。烈風|蓬髪《ほうはつ》を吹く。俊寛両手を天に伸ばす)わしはあらゆる悪鬼の名によって呪うたぞ! 清盛《きよもり》は火に焼けて死ね。宗盛《むねもり》の首は梟《きゅう》せられよ。維盛《これもり》は刃《やいば》にたおれよ。わしは清盛の女《むすめ》の胎《はら》を呪うたぞ。その胎よりいずるものは水におぼれよ。平家に禍《わざわい》あれ。禍あれ。平家の運命に火を積むぞ。平家の氏に呪いをおくぞ。たねのたね、すえのすえまで呪うたぞ。清盛よ、汝を地獄に伴いゆくぞ。(月雲を離れ俊寛の顔を照らす。月をにらんで)汝、僭冒《せんぼう》者よ。天の座よりおちおれい。(天に向かって唾《つば》を吐く。風のため唾ことごとく俊寛の顔にかかる。俊寛狂うがごとく)悪鬼よ。羅刹よ。妖魔よ。来たってわがまわりにつどえ。すべて汝らの族《やから》に属するものことごとく来たってわが呪いに名を署《しょ》せよ。わしは今わしの魂魄《こんぱく》を永劫《えいごう》に汝らの手に渡すぞ。おゝ清盛よ。奈落《ならく》の底で待っているぞ。(岩かどに頭を打ちつける。倒れる)
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間。
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有王 (登場)ご主人様。(うろうろ捜す)あゝどこにゆかれたか。あゝわかっている。わかっている。何をあなたが思いつかれたか! あゝ恐ろしい。ご主人様。(砂の上に血の痕《あと》を見つける)おゝ。(血の痕をたどり、岩の上によじ、俊寛の死骸《しがい》を見つける)おゝご主人様。(俊寛を抱《だ》き起こす。すでに絶息《ぜっそく》しおるを知る。地に倒れる。やがて起き上がり俊寛を抱きしめる。慟哭《どうこく》す。沈黙。やがて俊寛の死骸を抱きつつ)あゝ、いたわしいご主人様。苦しい苦しいご生涯《しょうがい》でございました。なにゆえにあなたはこれほどの苛責《かしゃく》をお受けにならなければならなかったのか。それは私にもわかりません。あゝしかしあなたの悪夢のような、ご生涯《しょうがい》は終わりました。静かな平和な来世《らいせ》があなたを待っているように! (つくづくと俊寛の顔を見る)何という恐ろしい死に顔だろう。あゝご主人様、あなたは呪《のろ》うて死なれましたか。天を恨《うら》み、世を憎《にく》み、敵を呪うて、恐ろしい、恐ろしい考えを死ぬる際《きわ》まで持ちつづけて! あゝあなたの未来が恐ろしい。あゝ私がこの十年の間見てきたことは実に恐ろしい人生の相《すがた》であった。(沈黙。やがて決心したるごとく立ち上がる。死骸に向けて)有王はどこまでもどこまでもお伴いたしますぞ。(俊寛の死骸を負う)あゝ仏様。私はこの世をいといまする。この恐ろしい世界から一時も早くのがれとうございます。私は主人とともに死にまする。私は何もわかりません。私の今することがたとえ間違っていようとも、なにとぞゆるしてくださいませ。あゝ主人の来世をお救《すく》いくださいませ。主人の霊を地獄《じごく》より救い出してとこしえの平和を恵みたまえ。(死に場所を選びつつ)今私の霊をあなたの御手《みて》に託《たく》しまする。(俊寛の死骸を負いたるまま岩の上より海に身を投げる)
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[#ここから5字下げ]
あらしの音。波の音。月光ほしいままに浜辺《はまべ》を照らす。
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[#地から3字上げ]――幕――
底本:「出家とその弟子 他一編」旺文社文庫、旺文社
1965(昭和40)年12月10日初版発行
1974(昭和49)年第25刷発行
初出:「新小説」
1919(大正8)年12月
入力:藤原隆行
校正:川山隆
2006年9月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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