俊寛
倉田百三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)法勝寺執行俊寛《ほっしょうじのしゅぎょうしゅんかん》

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(例)波|砕《くだ》け散る。

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(例)上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《じょうろう》
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 人

法勝寺執行俊寛《ほっしょうじのしゅぎょうしゅんかん》
丹波少将成経《たんばのしょうしょうなりつね》
平判官康頼《たいらのはんがんやすより》
有王《ありおう》(俊寛の昔の家僮《かどう》)
漁夫《ぎょふ》(男、女、童子ら数人)
丹左衛門尉基康《たんざえもんのじょうもとやす》(清盛《きよもり》の使者)
その従者 数人
船頭 数人

 時

平氏全盛時代

 所

鬼界《きかい》が島
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   第一幕

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鬼界《きかい》が島の海岸。荒涼《こうりょう》とした砂浜《すなはま》。ところどころに芦荻《ろてき》など乏《とぼ》しく生《お》ゆ。向こうは渺茫《びょうぼう》たる薩摩潟《さつまがた》。左手はるかに峡湾《きょうわん》をへだてて空際《くうさい》に硫黄《いおう》が嶽《たけ》そびゆ。頂《いただき》より煙をふく。ところどころの巌角《いわかど》に波|砕《くだ》け散る。秋。成経|浜辺《はまべ》に立って海のかなたを見ている。康頼岩の上に腰をおろして木片《きぎれ》にて卒都婆《そとば》をつくっている。
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成経 あゝとうとう見えなくなってしまった。九州のほうへ行く船なのだろう。それとも都《みやこ》へのぼる船かもしれない。わしの故郷《こきょう》のほうへ。
康頼 どうせこのような離れ島に寄って行く船はありませんよ。そんなに毎日浜辺に立って、遠くを通る船を見ていたってしかたがないではありませんか。
成経 でも船の姿《すがた》だけでもどんなになつかしいか。灰色にとりとめもなく広がる大きな海を見ているとわしは気が遠くなってしまう。わしとは何の関係もないように、まるで無意味《むいみ》で、とりつくしまもないような気がする。せめて向こうに髪《かみ》の毛ほどでもいいから、陸地の影が見えてくれたら。
康頼 それは及びもつかない願いでございます。ここからいちばん近い薩摩《さつま》の山が、糸すじほどに見えるところまで行くのでも、どんな速い船でも二、三日はかかると言いますから。
成経 でも船の姿《すがた》がほんのちょっとでも見えるとわしには希望の手がかりがつくような気がします。
康頼 それで毎日毎日海ばかり見ているのですか。
成経 十日に一度くらいは白帆《しらほ》のかげが見られます。でもはれた日でないと雲がかかって見えません。だからしけの日はわしにとって実に不幸な日です。朝起きて見て雲が晴れていると、あゝ、きょうもまた浜辺《はまべ》に立って船の見えるのを待とうと思って希望がわきます。
康頼 希望という言葉はほんとうにわしたちにとってありがたい、けれど身をきるような響《ひび》きを持って聞こえますね。
成経 希望、そうだ希望だ。船の姿はわしの一縷《いちる》の希望だ。だってそれででもなくて何をたのしみに生きるのだろう。もしも何かの不思議であの遠くを通《かよ》う船がこっちにやってくるかもしれない。
康頼 それは神仏《かみほとけ》の力でなくてはとてもできることではありません。
成経 それであなたは毎日|卒都婆《そとば》をつくって流すのですか。
康頼 きょうでもう九百九十五本流しました。もう五本流せば、熊野権現《くまのごんげん》様にたてた誓《ちか》いのとおり、千本という数になります。
成経 あ。また白帆が見える。ほんとにかすかで、よく見なくては鴎《かもめ》とまちがうくらい小さいけれど。来てごらんなさい。
康頼 わしは見ますまいよ。
成経 早く見ないとかくれてしまう。あなたは初めはわしといっしょに毎日船を見にいらしたではありませんか。
康頼 けれどとてもこの島へは来ないとあきらめたのです。あの船の姿《すがた》が雲にかくれて見えなくなるときの気持ちが恐ろしくなったのです。わしは何だかあの帆を見ると、葬《とむ》らいの行列の幡《はた》のような気がしてなりません。
成経 何をほうむるのですか。
康頼 わたしたちの希望を!
成経 (悲しげに)あゝ、よしてください。わしのただ一つの希望に、そんな不吉な想像を描《えが》くことは。
康頼 わしはそれよりも、日頃《ひごろ》念ずる神様の不思議の力によって、都《みやこ》へ帰ることの許さるるよう祈ったほうがいいと思うようになりました。
成経 けれど考えてごらんなさい。その小さな卒都婆《そとば》が何百里という遠い海を漂《ただよ》うて都のほうの海べに着くということがありましょうか。
康頼 でも千本のうち一本くらいは。
成経 とても九州までも行きはしますまい。潮風《しおかぜ》に吹き流されて。この島の磯《いそ》にでも打ちあげれば、蜑《あま》の子が拾うて薪《たきぎ》にでもしてしまうだろう。
康頼 しかしあれには二首の歌が彫《ほ》りつけてあります。故郷《こきょう》をしたう歌が。心あるものはまさか焚《た》いてしまいはしますまい。
成経 文字《もんじ》など読めるような人がこの島にいるものですか。言葉でもろくに通じないくらいだのに、男は烏帽子《えぼし》もかぶらず女は髪《かみ》もさげず、はだしで山川を歩くさまはまるで獣《けもの》のようではありませんか。
康頼 あゝ。わしはあの優雅《ゆうが》な都《みやこ》の言葉がも一度聞きたい。あの殿上人《てんじょうびと》の礼容《れいよう》ただしい衣冠《いかん》と、そして美しい上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《じょうろう》の品《ひん》のよい装《よそお》いがも一度見たい。
成経 この島の女は猿《さる》のように醜《みにく》い。
康頼 わしはけさ卒都婆《そとば》を流しにいって、岸辺《きしべ》に立ってさびしいことを考えました。わしはわし自身が丹精《たんせい》してほりつけた歌を今さらのように読み返しました。何たるさびしい歌だろう。卒都婆は波にもまれて芦《あし》のしげみにかくれてしまいました。わしはそれをじっと見送っていたら涙《なみだ》がこぼれた。しかし神様には何でもできないことはないはずだ。千本の内一本でも中国あたりの浜にでも着いて心ある人に拾われたら、きっと清盛《きよもり》の所へ送ってくれるだろう。清盛だって鬼神《きじん》でもあるまい。あのさびしい歌を読んで心をうごかさぬことはあるまい。あゝ。われわれがこの孤島《ことう》でどんな暮らし方をしているかを知ったら。どんなにふるさとをしとうているかを知ったら。むかえの使いを送ってくれまいものでもない。
成経 しかしそれはあまりにおぼつかない希望だ。
康頼 神を疑《うたが》ってはいけません。熊野権現《くまのごんげん》は霊験《れいげん》あらたかな神でございます。これまでかけた願《がん》の一つとして成就《じょうじゅ》しなかったのはありません。
成経 しかしここは紀州ではなし、那智《なち》の滝もないではありませんか。
康頼 神はどこにでもいられます。わしがあの奥深い森を選んだのは、あたりの様子がどことなしに那智《なち》の御山《みやま》に似ているからです。あれは本宮《ほんぐう》、これは新宮《しんぐう》、一の童子《どうじ》、二の童子とかりに所を定《き》め、谷川の流れを那智の滝と思い、そこに飛滝権現《ひりゅうごんげん》を形ばかりにまつりたてまつったのでございます。どんなにさびしい孤島《ことう》に流されても、拝する神のないのは堪《た》えられません。あの鬼《おに》のような清盛だって厳島明神《いつくしまみょうじん》に帰依《きえ》しているではありませんか。
成経 (あざけるように)ではわしは天魔《てんま》でもまつりましょうよ。そしてあの清盛を呪《のろ》ってやりましょう。
康頼 わしはこの間も権現様に通夜《つや》をして祈りました。そして祈り疲《つか》れてうとうとしました。するとわしは不思議な夢を見たのです。沖《おき》のほうから潮風《しおかぜ》に吹かれて木の葉が二枚ひらひらと飛んできて、わしの袖《そで》にかかりました。それを手に取ってみると御熊野《みくまの》の山にたくさんある栴《なぎ》の葉なのです。よく見るとその葉に歌が一首書いてあるのです。「ちはやふる神に祈りのしげければ、などかみやこへかえらざるべき」とありあり読みました。あゝありがたいと思ってその栴《なぎ》の葉をいただいて目がさめたのです。
成経 それはあなたがいつも都へ帰りたい帰りたいと思っているから、そんな夢を見たのでしょう。
康頼 しかしありありと歌まで覚《おぼ》えているのです。霊夢《れいむ》に相違《そうい》ありません。たとえそうでなくっても、わしはそうと信じたいのです。
成経 それであの卒都婆《そとば》流しを思いついたのですね。
康頼 (さびしそうに)はい。
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     間。
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成経 俊寛殿はどこへ行きましたか。
康頼 きょうも熊野権現《くまのごんげん》にお参りなされました。
成経 あの人は神など拝むような人ではなかったが。
康頼 人間は苦しい目にあうと神を拝むようになるものですよ。今でも時々こんなことをしたって何になるなどと自暴《やけ》になってわしにあたったり、それかと思うと絶望したように、ため息をついたりなさいます。そのくせやはり毎日お参りしていらっしゃるようです。
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この時|雷《らい》のとどろくごとく、大いなる音|響《ひび》きわたる。
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成経 あゝ、また山が荒れるな。
康頼 ではあしたは雨ですぞ。あの山が荒れるときっとふもとには雨が降るのだから。
成経 あしたは船の姿《すがた》も見られますまい。雨降りの日ぐらいわしは不幸な気のすることはない。わしはあなたのように信心はなし、雨の漏《も》るあばら家で衣の袖《そで》をぬらしながら、物思いにふけると、さびしいことばかり考えられます。希望の影も見失うて、いちばんさびしいことをさえ考えますよ。……死のことをさえ。
康頼 (身ぶるいする)それを言うのはよしてください。わしはそれを考えるのを恐れているのですから。きっといい日が来ますよ。成経殿。わしたちは希望を失いますまい。権現《ごんげん》様のご利生《りしょう》でもきっと迎えの船が来て、都《みやこ》へかえることができるでしょう。
成経 それはあの山から煙の出ない日を待つよりも、はかないことかもしれない。
康頼 でもあの山で硫黄《いおう》を取って、集めてそれを漁師《りょうし》の魚や野菜と交換しなかったら、わしたちはどうして生きてゆくのでしょう。
成経 あの年に一度九州から硫黄を取りに来る船に頼んで、せめて九州の地まで行くことはできますまいか。九州の地にさえ着けばそこからは都へ通う船は多いのだから。
康頼 わしらが飛ぶ鳥も落とす清盛《きよもり》に謀叛《むほん》して、島流しになってる身であることを、知らない者はありません。とても船にのせてはくれません。島の漁師たちさえわしらを恐れて近づかぬではありませんか。
成経 何とかして商人《あきんど》をだまして九州まで行けば、どこかに隠《かく》れて時期をうかがうこともできるだろう。
康頼 草の陰《かげ》、洞《ほら》のすみを捜しても、あの清盛が見つけ出さずにはおきますまい。そうなったら今度はとても生かしてはおきますまい。
成経 (絶望したように)あゝ。わしは人間というものがこのようなさびしい、乏《とぼ》しい状態に陥《おちい》り得るものとは思わなかっ
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