終わり]
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俊寛 (おずおずと漁夫のそばに近寄る)
漁夫一 (気味悪そうに俊寛を見る。網をあげ、捕えたる魚を※[#「土へん+累」、311−8]の中に入れ、再び網を打つ)
俊寛 (※[#「土へん+累」、311−9]の中をのぞきこむ。何かいいかけて躊躇《ちゅうちょ》す。やがて思いきりたるごとく)この魚をわしの硫黄《いおう》と換《か》えてくれまいか。
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ふところより硫黄の塊《かたまり》を出す。
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漁夫一 (俊寛を軽蔑《けいべつ》したように見る)わしはそんなものはいらない。(網を引き上げる)
俊寛 そうであろうが二、三尾でいいから換えてくれまいか。
漁夫一 九州から硫黄を買いに来る商人《あきんど》に持ってゆくがいい。
俊寛 いつくるかわからない。わしは飢《う》えているのだから。
漁夫一 それっぱかしの硫黄をもらったってしかたがないや。
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俊寛をさけるごとく、少し離れた所に行き網を打つ。
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俊寛 (※[#「土へん+累」、311−18]の中を物欲しそうにのぞきこむ。やがて隙《すき》をうかがい手を突込み魚をつかみ、ふところに入れる)
漁夫一 (それを見つける)盗《ぬす》みやがったな。太《ふと》いやつだ。
俊寛 わしは知らぬわい。
漁夫一 うそをつけ。魚を出せ。(俊寛に詰め寄せる)
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漁夫二とその妻登場。
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漁夫二 どうしたのだ。
漁夫一 こいつ、わしの魚を盗《ぬす》みやがったのだ。
漁夫二 この流人《るにん》めが。とっちめてやれ。
漁夫二の妻 (背中の子供をゆすぶりながら)こいつはいつもうろうろして物盗みをするということだよ。
漁夫二 ぶちなぐってやれ。(俊寛逃げんとす)
漁夫一 待て! (俊寛を地にねじ伏せる)
漁夫二 盗人《ぬすっと》め! (俊寛の顔を打つ)
俊寛 (顔をおおうて地に伏す。漁夫の子供火のつくように泣く)
漁夫二の妻 (けんどんに子供をゆすぶりながら)ほえまいぞ、ほえまいぞ。ほえるとこの流人のようにぶたれるぞ。
漁夫二 (俊寛を突きやり)失《う》せろ、流人め。二度とこんなまねをしやがったら、生かしてはおかないぞ。
漁夫一 二度とこの界隈《かいわい》にうろつくな。
漁夫二の妻 いやなやつだね。あんなのを餓鬼《がき》というのだろうよ。
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三人退場。
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俊寛 (立ち上がり、あたりを見回す)あゝ、何というみじめさだ。(走り行き岩かどに頭を打ちつけんとして躊躇《ちゅうちょ》す)あゝ死ね! 死ね! (地に伏す)あゝだめだ。これでもわしは死ねないのか。(慟哭《どうこく》す。やがて岩かどに腰をかける。ふとそこに落ちいたる魚を見つける。無意識に拾い上げて食わんとす。この時犬の群れのほゆる声起こる。ぎょっとしてあたりを見回す)しっ。しっ。(犬ますますほえる。俊寛、石を拾う)畜生《ちくしょう》! (石を投げる。犬の声静まる。魚にかじりつく)
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有王登場。俊寛人の気配《けはい》に岩陰《いわかげ》に隠《かく》れる。
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有王 (あたりを見回しつつ)なんと言う荒れた島だろう。都《みやこ》にいる時|鬼界《きかい》が島のさびしいことは聞いていたが、これほどだろうとは思わなかった。ほんとうに鬼《おに》でも住むような島だ。この島で一日と暮らせようとは思えない。あゝご主人さまはこの島で、七年もただ一人で暮らさなければならなかったのだ。もしやもはやお果てなされたのではあるまいか。この島中を山をよじ浜辺《はまべ》を伝って捜したけれどもそれらしい人も見あたらない。もしか絶望のあまり岩かどに頭を打ちつけて自殺でもなさりはすまいか。いやいやそんなことはあるまい。奥方や若君の安否《あんぴ》もわからぬ先にそのようなことはなさるまい。(岩のほうに行く)
俊寛 (岩陰よりいで去らんとす)
有王 (俊寛の姿《すがた》を見て驚き、二、三歩後ろにさがる。小声にて傍白)あれはなんだろう。あの恐ろしい姿は! わしは餓鬼《がき》道へでも迷って来たのではあるまいか。いや、やはり人間のようだ。尋《たず》ねてみよう。(俊寛の後ろより声をかける)ちょっと、物をお尋《たず》ねいたしたい。
俊寛 (後ろを振り向く)
有王 わしは都《みやこ》から来た者だが、(俊寛、都と聞いて驚いて有王を見る)この島に法勝寺《ほっしょうじ》の執行《しゅぎょう》俊寛|僧都《そうず》と申す方が十年前よりお渡りになっているはずだが、もしやご存じあるまいか。
俊寛 (驚きのためまっさおになる。何か言いかけてくちびるをひきつける。やがてつくづく有王を見る)有王だ! (有王に抱《だ》きつく。やがて反射的に有王を放《はな》し顔をおおう)あゝ、わしは恥ずかしい。
有王 (驚きて俊寛を見る)お前はだれだ。わしの名を知っているお前は。
俊寛 有王よ。わしだ。俊寛だ! (有王に抱きつく)
有王 (驚き、つくづくと俊寛を見る)あゝ、ご主人様だ! (俊寛を抱く)
俊寛 あゝ、わしはわしは。(慟哭《どうこく》す)
有王 おなつかしゅうございました。(愛憐《あいれん》の情に堪《た》えざるごとく)あなた様のこのお変わりようは!
俊寛 わしの姿《すがた》を見てくれい。
有王 あゝいたわしや、ご主人様。よく生きていてくださいました。どうしてこの十年をお過ごしなされました。この荒い島で、ただ一人で。(泣く)
俊寛 わしは餓鬼《がき》のように暮らしてきた。どうして生きてきたか自分にもわからない。すべては困苦と欠乏と孤独と、そして堪えられない侮辱《ぶじょく》だった。
有王 ここでお目にかかろうとは!
俊寛 夢だ! 悪い、長い夢だ。
有王 今生《こんじょう》でふたたびお目にかかれるとは。あゝありがたい。
俊寛 この変わりはてたあさましい姿《すがた》をあわれんでくれ。
有王 ご主人様、もはやご安心なさいませ、私がまいりました。あなたの手足のように忠実な有王めでございます。
俊寛 (有王を抱《だ》きすすりなく)
有王 私の心は昔と寸分《すんぶん》変わりませぬ。あなたが都《みやこ》をおたちなされてから、苦しい長い日がつづきました。あゝ長い長い日が、わたしはどんなにあなたのことをお案じ申したか、先年|鬼界《きかい》が島の流人《るにん》たちがきょうは都へ上ると聞いた時、私は夢かとよろこんで取るものもとりあえず鳥羽《とば》までまいりましたけれども、康頼殿と成経殿の輿《こし》は帰ったけれども、あなた様は一人鬼界が島に取り残りなされたと聞いた時、私は絶えいるばかりに悲しみました。それから七年の間あなたの赦免《しゃめん》のことがある日をあけくれ待ちわびていました。けれど七年がむなしく過ぎました。待ちあぐんだ末、私は堪《た》えきれなくなって人目を忍《しの》びこの島に尋《たず》ねてまいりました。せめて今生に一度だけでもお目にかかりたいと思って。
俊寛 あゝ、お前にふたたび会えようとは! はるばると来てくれたか。わしのすべての友、すべての家来がわしを見捨てたのに。この島の漁師《りょうし》さえわしをあなどり、餓鬼《がき》を恐れるようにわしを避《さ》けようとするのに。
有王 私の尊いご主人様、私はあなたのために命を惜《お》しみませぬ。幼い時からあなたに受けたご恩を思えば、私はよろこんであなたのために死にまする。
俊寛 わしは絶望のあまり幾度も幾度も死にかけた。深い海やけわしい岩かどは、絶え間なくわしを死に誘《さそ》うた。だがわしの妻子の愛着がわしを死なせなかった。この地上のどこかで妻や子が生きているのだと思えばわしは死ねなかった。しかもきっと不幸と恥辱《ちじょく》との中に。有王よ、わしは妻子の安否《あんぴ》を気づかった時、いつもお前のことを頼みにしていた。すべての家来はそむき去っても、お前だけはきっと最後まで命をかけても彼らを守ってくれると信じていた。わしに聞かせてくれ。聞かせてくれ。わしの妻はどうしていますか。
有王 (何かいいかけてやめる。あわれむごとく、俊寛の顔を見、顔をそむける)
俊寛 言ってくれ! 有王よ。わしはたいてい想像している。どんな恥な暮らしをしていてもわしはもはや驚きはしない。
有王 (苦しそうに)あゝ、私の申し上げることはもっと悪いことでございます。
俊寛 (青ざめる。心を確かに保とうとつとめつつ)わしは覚悟している。
有王 (堪《た》えかねたるごとく)西方《さいほう》におわします奥方様。ご主人様のお心をお支えくださるように!
俊寛 あゝ亡《な》くなったか。自害《じがい》したか。
有王 (思いきりたるごとく)幾たびかそれをくわだてられました。そのたびごとに私が必死になっておとどめ申さなかったら、あなたが西八条に捕《とら》われていらっしたあと、平氏の役人どもが館《やかた》に押し寄せて近親のかたがたをことごとくからめとり、連れかえって拷問《ごうもん》し、謀叛《むほん》の次第《しだい》を白状させてことごとく首をはねました。もし重盛《しげもり》が命乞《いのちご》いをしなかったら、女や幼い者さえも免《のが》れることができなかったでしょう。奥方は若君と姫《ひめ》君とを伴《ともの》うて鞍馬《くらま》の奥に身をお隠《かく》しなされました。深いご恩をこうむっている数多くの郎党《ろうどう》は自分の身にとがめのかかるのを恐れて皆逃げ去ってしまいました。私一人おともをいたしご奉公申し上げましたけれども、そのご不自由さは申すもおいとしいほどでございました。絶えず敵の追手《おって》を恐れ、ことに恥と侮《あなど》りとを防ぐためにあの気高い奥方がどんなに心を苦しめられたか、あなたがこの島にご流罪《るざい》になられたと聞いてから奥方のお嘆《なげ》きははたの見る目も苦しいほどでございました。康頼殿、成経殿のご赦免《しゃめん》があってあなたのみお残りなされたと聞かれてから、奥方の悲しみはもはや私の慰《なぐさ》め申すにはあまりに深くなりました。そしてついに病の床におつきなされ種々手をつくしてご看病《かんびょう》申し上げましたけれどもそのかいなくついにお果てなされました。
俊寛 あゝあわれな妻よ。(目を閉じる。力なく)二人の子供は!
有王 そのあとを申し上げるのはあまりに苦しゅうございます。
俊寛 言ってくれ。言ってくれ。わしの心はもはや悲しみにしびれている。
有王 若君は夜も昼も父母をお慕《した》いなされ、「母上はいずくにゆかれた! 鬼界《きかい》が島とやらへ連れてゆけ。」とおむずかり遊ばしましたが、六年前の二月ごろその時はやった痘《もがさ》という病気におかかりなされついにお失《う》せなされました。
俊寛 (石のごとく硬《かた》く冷たき表情にて)ただ一人残った娘は?
有王 姫君さまはこの世をはかなみ奈良の法華寺《ほっけじ》にて尼《あま》になって、母上や若君の菩提《ぼだい》をとむろうていられましたが、去年の秋の暮れふとおゆくえがわからなくなり、手をわけて捜しましたところ。(俊寛を見る。堪《た》えかねたるごとく顔をそむけ口をつぐむ)
俊寛 言ってくれ。ひと思いに。この場におよんでもはや私に悲しみをおしんでくれな。
有王 さる谷間に姫《ひめ》君のおなきがらが見つかりました。
俊寛 (ほとんど無感覚になりたるごとくうつろなる目つきにて)無だ! すべてが、すべてが亡びていたのか、わしの氏《うじ》を根こそぎ奪《うば》ってゆくのか。
有王 気をおたしかに!
俊寛 (われにかえりたるごと
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