。(地に伏して慟哭《どうこく》す)
康頼 (苦しげに)わしはあなたのそばにいたい。あなたを見捨てる気にはなれない。
俊寛 わしはあなたを最後の頼みといたしますぞ。
基康 (家来をしたがえて登場)もはや時は来た。決心を承《うけたまわ》ろう。(家来に)出発の用意をしろ。
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家来数名船のほうにゆく。三人沈黙。
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基康 (成経に)あなたの決心は?
成経 わしは迎えをお受けする。
基康 (うなずく。康頼に)あなたは?
康頼 (力なく)わしは友を見捨てるに忍《しの》びません。
基康 よろしい。ではあなたはこの島に残るがよかろう。成経殿だけ伴《ともな》って帰ろう。成経殿、出発の用意をなされい。
成経 (康頼に)わしは苦しい立場ではあるが思いきって一足《ひとあし》先に都《みやこ》へ帰ります。あなたはとどまって俊寛殿を慰《なぐさ》めて時機を待ってください。わしは都へたち帰ったらきっと再び迎えの使いを送ります。(俊寛に)あなたはわしが憎《にく》かろう。だがわしの立場を思ってゆるしてください。わしが都へ帰ったらきっと清盛《きよもり》殿にとりなして、あなたも帰洛《きらく》のかなうよう取りはからいます。それを頼みに苦しみに堪《た》えて待っていてください。
俊寛 (答えず)
成経 何か形見《かたみ》に残したいがわしに何もあろうはずがない。この衾《ふすま》をあなたにのこします。わしはこれで雨露《あめつゆ》をしのぎました。
俊寛 (衾《ふすま》を地になげうつ)わしはあなたを友とは思わぬ。早く都《みやこ》に帰るがいい。そして自分の敵に追従《ついしょう》するがいい。
家来 船の用意はできました。
基康 ではお別れする。(船に乗る。成経つづく)
成経 (船の上より康頼に)おことづてはありませぬか。
康頼 (何か言いかけて感動のあまりやめる)
基康 すぐに出発しろ。
家来 (ともづなを解《と》く)
俊寛 (顔をそむける)
成経 (康頼に)ではお別れいたしまする。
康頼 (堪《た》えかねたるごとくに)基康殿、お待ちください。
基康 何かごようか。
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船少し動く。
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康頼 待ってくれ。わしは考えて見たいから。
基康 船を止めろ。(家来船を止める)
俊寛 (不安の極に達し)康頼殿、わしはあなたを信じますぞ。
康頼 (苦しみに堪えざるごとく)神々よ。わしに力を与えてください。
基康 船を出せ。(船動く)
康頼 待ってくれ。わしは迎えをお受けする。
俊寛 (まっさおになる)康頼殿、あなたもか※[#疑問符感嘆符、1−8−77]
康頼 俊寛殿、ゆるしてください。わしはあなたのそばにいたい。最後まであなたの慰《なぐさ》めの友でありたい。けれど、わしは今自分を支えることができなくなった。あなたはわしがどれほど故郷《こきょう》を慕《した》っていたか知っていられよう、そのために頼むべからざるものをも頼みとしていたことを。熊野神社《くまのじんじゃ》に日参《にっさん》したことも、千本の卒都婆《そとば》を流したことも。今やその日が来た。ほとんど信じられない夢のような日が。けれどわしはあなたをあわれむあまり、今の今まで堪《た》えてきた。けれど今はわしの力もつきたような気がする。この船を逸《のが》したら二度と機会は来ないかもしれない。あの荒れた乏《とぼ》しい、退屈な、長い長い日が無限につづくことを思えばたまらない。わしはこの船が地獄《じごく》に苦しむ罪人を迎えに来た弘誓《ぐぜい》の船のような気さえしているのだ。
俊寛 (康頼の袖《そで》をつかむ)永久に地獄《じごく》に残るわしの運命を思ってくれ。それもただ一人で! あゝ考えてもぞっとする。残ってください。残ってください。
康頼 わしが帰ったらきっと清盛《きよもり》殿に取りはかろうて迎えの船を送ります。それを信じて待ってください。
俊寛 それがあてになるものか。このたびの処置で清盛がわしをどれほど憎《にく》んでいるかがわかる。わしはこの島にただ一人残って船の姿《すがた》が見えなくなる瞬間が恐ろしい。わしの命がその瞬間を支え得るとは思われない。
康頼 きっと迎えにまいります。その日を待ってください。わしを帰らせてくれ。
俊寛 (康頼を抱《だ》く)残ってくれ、残ってくれ。
康頼 (苦悶《くもん》の極に達す)あゝ。神々よ。
基康 船を出せ!
康頼 待ってくれ。(決心す)わしは帰らねばならない。(俊寛を放《はな》す)
俊寛 わしを無間地獄《むげんじごく》に落とすのか。
康頼 ゆるしてくれ、ゆるしてくれ。
俊寛 (康頼にしがみつく)助けてくれ。
康頼 (躊躇《ちゅうちょ》す)
基康 (いらだたしく)船を出せ!
康頼 待ってくれ。(俊寛を押し放《はな》ち船に乗る)
俊寛 (よろめく)あゝわしは。待ってくれ!
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家来船を止めんとす。
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基康 (声を励《はげ》ます)出発しろ。
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船動く。
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俊寛 基康殿。わしは犬のごとくひれ伏してあなたに乞《こ》う。わしをただ九州の地までつれて帰ってくれ。
基康 (顔をそむける)
成経 俊寛殿、きっと迎えにまいります。
康頼 心を確かに俊寛殿。わしは誓《ちか》ってもいい。きっと迎えをよこすことを。(無意識にふところより法華経《ほけきょう》を取り出す)誓いのしるしにこの法華経をあなたにのこします。わしのただ一つの慰《なぐさ》めであったこの経を。わしのかたみに!
俊寛 (法華経《ほけきょう》を引き裂《さ》く)
基康 (声を励まし)すぐ出せ!
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船、岸を離る。
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俊寛 (船にすがりつく)わしもつれて帰ってくれ。(船、動く。俊寛水の中に浸《ひた》る)待ってくれ。(船、動く。俊寛水に浸りたるまま、一間ばかり船に引きずられてゆく)
基康 手を放《はな》させろ。
家来 (俊寛の手をつかんで放す)
俊寛 (またしがみつく)
基康 (刀を抜き背《むね》にて俊寛の手を打つ。俊寛、手を放す)急いで漕《こ》げ。
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船、岸を離れる。
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俊寛 (ずぶぬれになったまま)船を戻《もど》せ! 船を戻せ!
基康 (家来に)急げ。(俊寛に)わしのせいではないぞ。
成経 きっと迎えにまいりますぞ。
康頼 ゆるしてくれ。ゆるしてくれ。(手を合わす)
俊寛 助けてくれ! わしを一人残すほどなら、むしろわしを殺してくれ。
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答えなし、船退場。
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俊寛 ただ九州の地まで。一生の願いだ。そしたら海の中に投げ込んで殺してくれてもいい。
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答えなし。
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俊寛 (水ぎわを伝って走る)船を戻《もど》せ! わしを助けてくれ。
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答えなし。
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俊寛 (丘の上にはい登り沖《おき》をさしまねく)おーい、康頼殿。
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沖《おき》より呼ばわる声聞こゆ。
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俊寛 船を戻せ! 船を戻せ!
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沖より銅鑼《どら》の音《ね》響く。
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俊寛 船を戻せ! 船を戻せ!
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答えなし。
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俊寛 (衣を引き裂《さ》く。狂うごとく打ちふる)おーい。康頼殿。
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答えなし。この時|雷《らい》のとどろくごとく山の鳴動《めいどう》聞こゆ。
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俊寛 (ふるえる)助けてくれ!
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答えなし。
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俊寛 (絶望的に)だめだ! (地に倒れる。立ち上がる)鬼《おに》だ。畜生《ちくしょう》だ。お前らは帰れ。帰って清盛《きよもり》にこびへつらえ、仇敵《きゅうてき》の前にひざまずいてあわれみを受けい。わしは最後まで勇士としてただ一人この島に残るぞ。この島で飢《う》えて死ぬるぞ。
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も一度激しき山の鳴動。
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俊寛 (思わず叫ぶ)助けてくれ! (地に伏す。間。必死の力を出して立ち上がりよろめきつつ)わしはこの島の鬼となるぞ!
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波の音、松風の音、その間を時々山の鳴動。
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第三幕
第一場
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舞台、第一幕に同じ。岩多き荒涼《こうりょう》たる浜辺《はまべ》、第二幕より七年後の晩秋。
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俊寛 (やせ衰《おとろ》え、髪《かみ》をぼうぼうとのばし、ぼろぼろに破れ、風雨のために縞目《しまめ》もわからずなりたる着物をきている。岩かどに立ちて、嘆息しつつ海を眺める)あゝだめだ。まただまされた。何百度だまされればいいのだ。康頼めがなまじいに迎えによこすと言ったばかりに! 苦しまぎれにいいかげんなことをいったのだ。その場限りの慰《なぐさ》めだ。それが何のあてになるものか。それをお前は知ってるくせに。愚《おろ》か者! 未練《みれん》なわしよ。あゝわしはもう自分に頼る気もなくなった。どうしてわしは死んでしまわないのだ。この岩かどに頭を打ちつければ、この悪夢のようなわしの生涯《しょうがい》は閉じるのではないか。あゝ想像もつかない恐ろしい七年が経った。わしはどうして生きてくることができたのだろう。四季の移り変わりと月の盈虧《みちかけ》がなかったら、どうして月日さえ数えることができたろう。何よりも苦しいのは食物がないことだ。わしはいつも餓鬼《がき》のように飢《う》えていなければならない。もう弓を引く力もなくなった。水くぐる海士《あま》のすべも知らない。(ふと岩陰《いわかげ》を見る)見つけたぞ! (岩陰《いわかげ》に飛びゆき)待て。かにめ。(あわて捕《とら》えんとす)えゝ逃げおったわい。(がっかりする。考える)あゝわしは餓鬼《がき》だ。少しの食物を得るためにどんなにあさましいことをしなければならないか。
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この時岩かどにとまりいたる兀鷹《はげたか》空を舞い、矢のごとく海面《うみづら》に降《お》り魚を捕えたちさる。
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俊寛 あゝわしはあの兀鷹がうらやましいわい。
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漁夫《ぎょふ》一登場、※[#「土へん+累」、311−6]《びく》を岩の上に置き網《あみ》を打つ。
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