われない。ただあなたの役目の解釈に少しばかりの自由を保つのにすぎないことではあるまいか。
基康 その少しばかりの自由から、どれほどの大事がまたわしの身に起こってくるかしれたものではない。あなたがたはこの命令の発布《はっぷ》者がどんな性格の人であるかを忘れはすまい。獅子《しし》の意志は鼠《ねずみ》にはわからない。
成経 わしは同じ弓矢をとる武人《ぶじん》としてあなたの義気《ぎき》に訴《うった》えたい。
基康 (気色《けしき》を損じる)この場合わしに対してあまり押しつけがましく出ることは、あなたがたの利益でないことはないか。
成経 (怒りをおさえて沈黙す)
康頼 わしはただあなたに乞《こ》うほかはありません。われわれのみじめな姿《すがた》があなたにあわれみを起こさせぬであろうか。あなたがもし俊寛殿の地位に立ったとしたら!
基康 わしはあなたがたに同情しないのではない。だが、ながい間の職務上の経験から同情と役目とを別々に考えることにしているのだ。
康頼 窮鳥《きゅうちょう》がふところに入る時は猟師《りょうし》もこれを殺さないと申しますが。
基康 わしはこういう立場に立ったのは初めてではないのだ。わしには結果の見越しがあまりにつきすぎる。わしがいかほどの同情を起こしたにしても、結局わしがどうしなければならないかということはあまりにはっきりとしているのだ。わしは片時《かたとき》も早くこの不愉快な役目を終わりたい。
康頼 わしたちをあわれんでくれ。わしはひたすらあなたに助けを乞《こ》う。あゝ仏様があなたの心に慈悲《じひ》を催《もよお》さしてくださるように!
基康 (もどかしそうに)幾度言っても同じことだ。わしはほかに選ぶみちがないのだ。わしを無慈悲な人間として考えねばならぬ地位にいつまでも立っているのはたまらない。わしにも人間の心はある。わしは一人の平凡な役人にすぎないのだ。
俊寛 ではわしはあえていうが、あなたの役目は果たされますまいぞ。成経殿も康頼殿もわしを残してこの島から帰られないのだ。けさわしに対して誓言《せいごん》をしたのだから。
基康 (両人に)それに相違ありませぬか。
成経 わしは弓矢にかけて誓《ちか》いました。俊寛殿と生死《せいし》をともにすることを。
康頼 わしは神々の名によって誓いました。永久に友を見捨てませぬと。
基康 (沈黙)
俊寛 この上は三人を連れ帰ったほうがあなたの役目にもかないはしますまいか。はるばるこの島まで来たことがむだにならないためにも。
基康 (黙ってしばらく考える。やがて信ずるところあるがごとく)では念のため、も一度だけお尋《たず》ねする。ご両人俊寛殿を残しては都《みやこ》へ帰る気はありませぬな。
成経 俊寛殿を一人残してわしだけ帰る気はありません。
康頼 わしは友を見捨てるに忍《しの》びません。
基康 では三人の意志はたしかに聞き届けました。都にたち帰ってその旨《むね》を清盛《きよもり》殿に伝えましょう。
俊寛 (恐怖を隠《かく》そうとつとめつつ)それではあなたの役目がたちますまいが。
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成経と康頼、基康を凝視《ぎょうし》す。
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基康 わしはこの命令の執達吏《しったつり》にすぎないのだ。わしは清盛殿の意志をあなたがたにお伝えすればそれでいいのだ。あなたがたがそれを受けようと受けられまいと、それはわしの立ち入る限りではない。
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三人沈黙す。
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基康 (家来に目配《めくば》せす)出発のしたくをしなさい。
成経 (狼狽《ろうばい》す)しばらくお待ちください。
康頼 そのように急がれるにはおよびますまい。
基康 (冷ややかに)あなたがたの意志を聞いた以上は、もはやわしの役目はすんだというものだ。わしは片時《かたとき》も早くこの荒れた島から離れたい。何か都《みやこ》にことづてはありませんか。わしがあなたがたへのただ一つの親切にそれを取りついであげましょう。あゝわしは忘れるところだった。都をたつ時あなたがたにことづかった物があった。故郷《こきょう》からの迎えの使いを拒絶《きょぜつ》するほどのあなたがたに、たいした用はないかもしれんが。(家来に)かの品を。
家来 (文《ふ》ばこを基康に渡す)
基康 (文ばこを成経と康頼に渡す)
成経 (ふるえる手にて文ばこを開き、手紙を手に取り裏を返し、表を返しして見る。おのれを制することあたわざるごとく)母上の手蹟《しゅせき》だ。(感動に堪《た》えざるごとく)あゝ。
康頼 (手紙を握《にぎ》りしめ)わしはどんなに飢《う》えていたか!
俊寛 (われを忘れたるごとく)わしへの手紙は? 故郷の便りは?
基康 わしのことづかったのはこれだけだ。(俊寛、顔をおおう。家来に)出発の用意をしろ。
成経 (あわてる)待ってくれ。わしがもっとよく考えるために。
康頼 今しばらくの猶予《ゆうよ》が願いたい。
基康 あなたがたの意志はもはや確かに承《うけたまわ》ったはずだが。
成経 いや、わしはもっとよく考えて見なければならない。あなたに聞きたいこともある。
康頼 われわれがもっとよく考えて決心するために、今しばらく待っていただきたい。あなたはあまりにあわただしい。
俊寛 (不安に堪《た》えざるごとく。成経に)成経殿、わしはあなたを信じている。あなたが誓《ちか》いを守ってくださることを。
成経 (俊寛にむけてではなく)わしは考えねばならない。考えねばならない。
俊寛 康頼殿、わしはあなたの誓いを最後の頼みとしていますぞ。
康頼 わしたちはよく考えて見ましょう。今はあまりに大事な時だ。
俊寛 (天に向かって両手をのばす)神々よ、汝の名によってたてられた誓いは守られねばならぬ!
基康 わしの前で内輪《うちわ》の争いは、見るに堪《た》えぬわい。申《さる》の刻《こく》までに考えを決められい。猶予《ゆうよ》はなりませぬぞ。(退場。家来つづく)
成経 (基康の去るやいなや、飢《う》えたるもののごとく手紙の封を切りて読み入る)
康頼 (手紙を読みかけて、俊寛を見てやめる)
成経 (かたわらに人なきがごとく)なつかしい母上よ、あなたの恩愛《おんない》が身にしみまする。(今ひとつの手紙を読む)妻よ、お前の苦しみは察するにあまりある。どんなに会いたかったろう。(他の手紙を見る)乳母《うば》の六条の手紙に添《そ》えて、わしの小さな娘の手紙も入れてある。何という可憐《かれん》な筆つきだろう。六条よ、あゝおまえの忠義は倍にして報《むく》いられますぞ。(手紙を読みつづける)
俊寛 (堪《た》えかねたるごとく)わしの前でその手紙を読むのはよしてください。わしは不安で不安でたまらない。成経殿、あなたは考えを変えてはなりませぬぞ。きょうあなたが弓矢にかけてたてた誓《ちか》いを忘れてくださるな。
成経 (われに帰りたるごとく)わしはあまりに苦しい、今はわしの一生の運命の定《き》まる時だ。わしに考えさせてください。
俊寛 あなたは名誉ある武士のすえだ。あなたはいつもそれを誇《ほこ》っていられた。わしはあなたの誇りに望みをかける。
成経 故郷《こきょう》の便りはわしの臓《ぞう》をかきむしるような気がする。不幸なわしの家族はどんなにわしを待っているだろう。彼らに一度会う日の夢は、わしのこの荒いみじめな生活のただ一つの命であった。今や時が来た。そしてわしは帰ってはならぬのであろうか。
俊寛 あなたの心持ちはもっともだ。だがわしのことを考えてください。あなたがたがそばにいて不幸を分けてくださったればこそ、この言いようのない苦しみにも堪《た》えることができたのだ。が、もしわし一人この島に残らねばならなかったら、わしはどうしてこの先を暮らしてゆくことができよう。それはあまりに堪えがたい。考えただけでも恐ろしい。
成経 わしはあなたのことを思わないのでは決してない。だがわしとして、わしの境遇になって、はたして故郷への迎えの船をむなしく帰すことができるだろうか。
俊寛 わしはこういう時の来ることを予感したのだ。それを思えばこそけさあれほどあなたに念を押したのだ。そしてあなたのあの心強い誓言《せいごん》を得たのだ。あなたはそれを忘れはなさるまい。
成経 (心の内に戦いながら)時機は二度と来ぬのだから。
俊寛 わしはあなたに要求する気はない。ただあなたの友情にすがって折り入って頼む。なにとぞわし一人をこの島に残さないでください。
成経 わしは一度だけ母に会いたい。妻に会ってその苦しみをねぎろうてやりたい。一生に、も一度だけわしの子供が抱《だ》きたい。
俊寛 それはみなわしの願うところだ。わしの朝夕の夢だ。今その夢を実《まこと》にすることのできるあなたの幸福と、この荒れた島にただ一人残る自分の運命とを較べるのは堪《た》えがたい。わしの恐ろしい運命を考えてください。
成経 わしはただ一度だけ故郷《こきょう》の土が踏《ふ》みたい。ただ一度だけ家族と会えばまたこの島に帰ってもよい。だがただ一度だけは。
俊寛 わしを助けてくれ。
成経 わしは苦しい。何も考えられない。わしの心は顛倒《てんとう》するようだ。
俊寛 あなたはどうしても帰る気か、誓《ちか》いを破り、わしを捨てて。
成経 (苦しそうに沈黙す)
俊寛 きょうからわしはあなたを名誉ある武士とは思いませぬぞ。困苦をともにした友に危難の迫《せま》った場合、無慈悲《むじひ》に見捨て去るとは、実に見下げた人だ。八幡《はちまん》のたたりを恐れられい。わしはいうがわれわれがこんなみじめな境遇に落ちたのも、もとはあなたの父上のためだ。
成経 (顔をおおう)
俊寛 あなたの父を鼠《ねずみ》のごとく殺した清盛《きよもり》のところへ、あわれみを乞《こ》うて帰る気か。
成経 (あたりをはばかりつつ)わしは復讐《ふくしゅう》することができる。都《みやこ》へ帰れば機会をうかがうことができる。
俊寛 (不安に堪《た》えざるごとく、康頼に)康頼殿、今はわしの頼みはあなた一人となりました。わしはあなたの愛と誠実とに依頼する。あなたはながい間どんなにわしを愛してくださったろう。あなただけはわしを見捨ててくださらぬだろう。
康頼 私はあなたの運命を思えばたまらない気がする。あなたはじつに苦しかろう。
俊寛 わしは恐ろしい。わしのそばにいつまでも離れずにいてください。
康頼 わしはあなたをあわれむ心でいっぱいだ。あなたの今の地位の恐ろしさは言い表わす言葉もないほどだ。
俊寛 (哀願《あいがん》に満ちたる調子にて)あなたはわしを見捨ててはくださらぬだろう。
康頼 わしはあなたを見捨てて去るには忍《しの》びない。
俊寛 ではわしとともにこの島に残ってくださるのですね。
康頼 (力なく)わしはそうしたい。そうしなければならぬと思う。けれども――
俊寛 (不安の極度に達す)わしはあなたの信心に依頼する。
康頼 迎えの船の来たのは熊野権現《くまのごんげん》の霊験《れいげん》と思われる。
俊寛 あなたは神々にたてた誓《ちか》いを忘れはすまい。あれほど信心深いあなたが、天地の神々の名によってたてた誓いを破ろうとは信じられない。
康頼 (沈黙)
俊寛 (あわれみを乞《こ》うごとく)康頼殿、あなただけはわしを見捨ててくださるな。あなたは成経殿の例にならってくださるな。この長い困苦の年月あなたがわしのためにどんなに忠実な友であったか、わしは感謝の心でいっぱいだ。今一人の友が無慈悲《むじひ》にわしを捨てて去ろうとする時、あなただけはわしを助けてください。わしはあなたに救《すく》いを求める。
康頼 (沈黙)
俊寛 (康頼の袖《そで》を握《にぎ》り地にひざまずく)あわれな友の最後の願いをしりぞけてくださるな。
康頼 わしはあなたを見るに忍《しの》びない。わしの心はちぎれるようだ。
俊寛 わしを地獄《じごく》から救ってくれ
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