もののような顔をなさるのだろう。あなたの内に不幸を吐《は》き出す魔でもすんでいるのか。あなたはわしとともによろこんでくださるはずだ。われわれが長い長い間待った日が来かけているのではないか。あなたはその日をあれほど待っていられたではないか。
成経 (沖《おき》を見る)あの船はいよいよこの島に来るらしいぞ。
俊寛 (苦しそうに)なぜこんなさびしい考えがわしにだけ起こるのだ。去ってくれ。去ってくれ。(船を見る。身ぶるいする)だめだ。わしは凶兆《きょうちょう》を感じる。わしの運命は、わしの星は凶だ。(地に倒れる)
康頼 俊寛殿。気が狂ったか!
成経 何かついたのか! (刀を抜く)外道《げどう》よ、去れ!
俊寛 (起き上がる)わしに必要だ。一つのことがわしに保証されねばならない。わしを見捨てて帰らぬということが!
成経 安心なさい。俊寛殿。わしはあなたに何のわだかまりも持ってはいない。持っていたものは皆消えた。わしはあなたを慰《なぐさ》めたい心で一ぱいになっている。鬼神《きじん》も今のあなたの姿《すがた》を見てはあわれみを起こすだろう。
康頼 あなたはあり得ぬことを想像してひとりで苦しんでいられる。二人だけ都《みやこ》へかえして、あなただけをこの島に残すというはずがないではないか。わしらは同じ罪に座して配流《はいる》されたのだから。
俊寛 もしあったとしたら。
成経 わしはも一度くり返してあえて言おう。あなたを一人見捨てて都へ帰るほどなら、わしはこの島で餓死《がし》することを選ぶ。
康頼 生きるも死ぬるも三人いっしょだ。
俊寛 それを誓《ちか》ってくれ。誓ってくれ。
成経 (弓を天にささげる)わしは名誉ある武士のすえだ。わしは弓矢にかけて誓う。あなたと生死をともにすることを!
康頼 わしは神々の名によって誓う。天神《てんじん》よ。(天に息を吹く)地祇《ちぎ》よ。(地に息を吹く)わしは永久に友を見捨てませぬ。
俊寛 (静かに泣く)
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長き沈黙。
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成経 (突然|沖《おき》を見て叫ぶ)いよいよきまった。あの船はもうこの島に必ず来る。あすこまで来たからにはもうだいじょうぶだ。いつも方角《ほうがく》をかえるのはもっとずっと遠くの沖《おき》だから。わしの考えでは、あの船はなかなか大きいらしい。
康頼 (沖を凝視《ぎょうし》す)あれは都《みやこ》から来た船だ。(渚《なぎさ》に走る)あの帆柱《ほばしら》や帆《ほ》の張り方や櫓《ろ》の格好《かっこう》はたしかにそうだ。いなかの船にはあんなのはない。(波の中に夢中でつかり、息をこらして船を見る)
成経 (康頼のそばに走る)旗《はた》だ! たしかに赤い旗が見える。平氏の官船《かんせん》だ。
康頼 迎えの船だ!
成経 (夢中に叫ぶ)追い風よ。吹け。吹け。吹け。
康頼 まっすぐに、こぎつけよ。一刻も早く、この岸に! わしらはここにいる。ここの岸に立っている。餓鬼《がき》のようにやせて! (急にむせび泣く)わしはどんなに待ったろう。
成経 あゝ。長い長い間だった。
康頼 神々よ。きょうの恵みはわが子孫に書きのこして伝えられましょう。
成経 わしの心がこのよろこびに持ちこたえられるように!
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沖《おき》の船より銅鑼《どら》の音《ね》ひびく。
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康頼 合い図だ! 船着き場へ! (はせ去る)
成経 (無言にて康頼のあとを追うてはせ去る)
俊寛 (前のところに不安そうに立ったまま)あの船は陰府《よみ》から来たように見える。(心の内にさす不吉の陰を払いのけるように首を振る) わしはばかげた妄想《もうそう》に悩《なや》まされているかもしれないぞ。そうであってくれ。そうであってくれ。わしのこの恐ろしい考えには少なくとも根拠《こんきょ》はないのだ。たしかに根拠はないのだ。ただわしにそういう不安な気が何となくするというのにすぎない。そんなことが何のあてになろう。(沖を見る。ふるえる)どうしたのだ。(打ち負かされたるごとく)あの船の帆は死骸《しがい》の顔にかける白い布《きれ》のようにわしに見える。(墓標のごとくにじっと立ちたるまま動かぬ)
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ながき沈黙。やがてやや近き沖にて銅鑼の声つづけざまにひびく。
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第二場
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船着き場。まばらなる松林。右手寄りに小高き丘の一端見ゆ。そのふもとにやや大なる船|泊《と》まりいる。正面に丹左衛門尉基康《たんざえもんのじょうもとやす》その左右に数名の家来《けらい》槍《やり》をたてて侍立《じりつ》す。その前に俊寛、康頼、成経ひざまずく。
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基康 (家来に目くばせす)
家来 (雑色《ぞうしき》の首にかけたる布袋より赦文《しゃもん》を取り出し、うやうやしく基康に捧げる)
基康 つつしんできけ。(赦文を読む)重科|遠流《おんる》を免《めん》ず。早く帰洛《きらく》の思いをなすべし。このたび中宮《ちゅうぐう》ご産の祈祷《きとう》によって非常のゆるし行なわる。しかる間、鬼界《きかい》が島の流人《るにん》、丹波《たんばの》成経、平《たいらの》康頼を赦免《しゃめん》す。
成経 (康頼と顔を見合わす)
基康 つつしんでおうけなされい。
俊寛 (声をふるわす)その赦文をも一度お読みください。
基康 (も一度読む)命《めい》によって迎えにまいった。両人ともしたくをなされい。
俊寛 あなたは俊寛という名を読み落としなされたようだ。
基康 この赦文《しゃもん》には俊寛という名は記してない。
俊寛 (青ざめる)そんなはずはありません。
基康 自分で見るがよかろう。(赦文を康頼に渡す)
俊寛 康頼殿。早く見てください。
康頼 (黙読《もくどく》し、成経に渡す)
俊寛 成経殿。わしの名は?
成経 (黙読し、俊寛に渡す)
俊寛 (ふるえる手にて受け取り読む。まっさおになる)礼紙《らいし》を見てくれ。礼紙を!
基康 (無言《むごん》にて家来に礼紙を渡す)
俊寛 (家来より礼紙を受け取り、裏を返し、表を返して見る)執筆《しっぴつ》の誤りだ。基康殿。あなたは都《みやこ》を出発する時三人を連れ帰るようにとの命令を受けられたに相違ない。
基康 わしの役目はこの赦文に記されたとおりを行使《こうし》するのにある。
俊寛 もし執筆の誤りだったら。
基康 (冷ややかに)あなたを残して帰っても、責《せ》めはわしにはかかるまい。
俊寛 (せき込む)しかし清盛《きよもり》殿の意志が三人を都《みやこ》へ呼び戻《もど》すにあるとしたら。主人の意志を果たすがほんとうの忠実なる使者でしょう。あなたは主人の意志を熟知《じゅくち》していられましょう。
基康 (皮肉に)わしがそんな高い身分のある者だったら、こんな役目はおおせつからなかっただろう。主人の意志を知ることなどわしなどには思いもよらぬことだ。わしはただこの紙に記されてあることを忠実に遂行《すいこう》することを上役から命じられたにすぎない。
俊寛 われわれ三人は同じ罪によって、同じ日にこの島に流されたものだ。二人だけを都へ帰して、一人だけを残すというのは法にかなわない処置ではありませんか。
基康 あなたの訴えは正しいかもしれない。しかしそれはこの命令を発した人に向かって言われるべきだろう。
俊寛 清盛はなぜ特別にわしを憎《にく》むのだ。わしから二人の伴侶《はんりょ》を無慈悲《むじひ》に奪《うば》い去ろうとするのだ。
基康 それはわしからききたいくらいだ。
俊寛 刑には理由がなければならない。その理由を示さずに、ただわしだけに重い刑罰を課するのは非法ではないか。
基康 あなたの申し立ては道理でもあろう。しかしわしはそれを裁《さば》く権利を持っていないのだ。
俊寛 あなたは悪い人ではないようだ。わしはあなたに乞《こ》う。わしを都《みやこ》へ連れて帰ってください。
基康 わしはあなたに何の憎《にく》みもない。わしはお気の毒に思う。もしわしにとがめがかからないものなら、わしは連れて帰ってあげてもいいのだが。
俊寛 もしあなたがそうしてくれたら、わしは十倍にしてきっとあなたに報《むく》います。
基康 (考える)どうもわしの身に難儀《なんぎ》がかかりそうだ。
俊寛 もしあなたにとがめがかかったら、わしが立派に申し開きをしよう。その責任はわしがきっとになう。だがそんなことはきっとない。主人の意志は三人を都へ帰すにあるのはわかりきったことなのだから。
基康 その点もあなたが言うほどわしにははっきりしていないのだ。少なくとも赦文《しゃもん》の意味を文字どおりに行使《こうし》するのが最も賢《かしこ》いことがわしにはっきりしているほどには。
俊寛 しかし一度都へ帰ってから、またはるばるこの島まで迎えに来なくてはならないとしたら。
基康 (ある感動をもって)あなたがそういうのはもっともだ。わしは長い船旅《ふなたび》には実際弱ってしまった。都を出てから想像もつかないほどの長い日数がかかっている。それに都を去るにつれてだんだん航路が荒くなった。その上九州の本土を離れてからは何という退屈だったろう。都《みやこ》にかえってから、も一度この島に来るというようなことはとても耐《た》えられないことだ。(考える)だがわしは長い間の役目の経験で知っている。一番安全に役目を果たす方法は、いかなる場合にも文書の文字どおりに行使《こうし》することだということを。わしはもう長い間そういうことに決めているが、やはりいちばん無難《ぶなん》なようだ。それにも一度この島に来なければならないことになれば、わしは上役に懇願《こんがん》して、このありがたくない役目をだれかに代わってもらうこともできるだろう。
俊寛 しかしそれは区々《くく》たる小役人《こやくにん》のすることだ。大いなる役人は文書の意のあるところをくみとるべきだ。
基康 (皮肉に)あなたは初めからわしをあまりに高い身分のものと買いかぶりすぎたようだ。わしは平凡な、一人の役人にすぎない。またそうでなくてだれがこんな役目をおおせつかるものか。わしは実際今度の役目にはこりごりした。わしは疲《つか》れている。わしは一日も早くこの役目を果たして、都へ帰りたいと願うほかには何も考える気はなくなっている。
俊寛 しかしわしにとっては大きな大きな問題だ。わしの一生の運命が決まるのだ。
基康 わしはその大きな問題を引き受けるにはあまりに地位も低く、力が乏《とぼ》しい。
俊寛 わしをあわれんでくれ。
基康 わしはあなたに同情する。しかしわしの一身の安全も計《はか》らずにはいられない。
俊寛 (嘆息する)あゝ、あなたは悪い人間ではない。しかしただそれだけにすぎない。
基康 成経殿、康頼殿、出発のしたくをなされい。
成経 わしからあなたに改めてお願いする。なにとぞ、俊寛殿をもわれわれといっしょに都《みやこ》へ連れ帰っていただきたい。
康頼 われわれは長い間この島で困苦をともにしました。今俊寛殿だけをこの島にひとり残して帰るに忍《しの》びません。
基康 あなたがたの気持ちはあなたがたとしてしごくもっともに思われる。しかしわしの立場としては前いったことをくり返すほかはない。
成経 あなたの立場はわからないではありません。だがこのわれわれにとって千載一遇《せんざいいちぐう》の非常の時機に際して、あなたの一身の安全をはかるよりほかに、われわれのためにあえてしていただくことは願えないものであろうか。
基康 (不愉快そうに)わしには妻子があるのだ。わしの思いだす限りでは一家の安全をかけてまで、あなたがたのためにつくさねばならぬほどの恩を受けてもいないようだ。
成経 しかし、あなたにとっては一家の運命を賭《と》するほどの大事とは思
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