せめて向こうに髪《かみ》の毛ほどでもいいから、陸地の影が見えてくれたら。
康頼 それは及びもつかない願いでございます。ここからいちばん近い薩摩《さつま》の山が、糸すじほどに見えるところまで行くのでも、どんな速い船でも二、三日はかかると言いますから。
成経 でも船の姿《すがた》がほんのちょっとでも見えるとわしには希望の手がかりがつくような気がします。
康頼 それで毎日毎日海ばかり見ているのですか。
成経 十日に一度くらいは白帆《しらほ》のかげが見られます。でもはれた日でないと雲がかかって見えません。だからしけの日はわしにとって実に不幸な日です。朝起きて見て雲が晴れていると、あゝ、きょうもまた浜辺《はまべ》に立って船の見えるのを待とうと思って希望がわきます。
康頼 希望という言葉はほんとうにわしたちにとってありがたい、けれど身をきるような響《ひび》きを持って聞こえますね。
成経 希望、そうだ希望だ。船の姿はわしの一縷《いちる》の希望だ。だってそれででもなくて何をたのしみに生きるのだろう。もしも何かの不思議であの遠くを通《かよ》う船がこっちにやってくるかもしれない。
康頼 それは神仏《かみほ
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