る者 人はその日の午後に来た道楽者の煙突|掃除人《そうじにん》をしあわせものだと言っていた。
人間 (うめくように)芸術だ。たしかなものは芸術です。わたしはわたしの涙で顔料を溶かします。私の画布の中にこわれないたしかなものを塗りこみます。
顔蔽いせる者 ここまで来てはもうたしかなともたしかにないともわしは言わない。だが、お前はお前の病気のことを忘れはしまいな。
人間 片時も。あなたが私の健康を奪ってしまったのが私の不幸のはじまりでした。そしてあなたを知るはじまりでした。それからというもの私がどれほど苦しんでいるか!
顔蔽いせる者 お前の体温がもう二度高くなればお前は刷毛《はけ》を捨てねばなるまい。
人間 おゝ。
顔蔽いせる者 それは起こり得ぬ事だろうか。今だってお前は毎日熱が出るのではないか。
人間 祈りです。たしかなものは祈りです。私は寝床のなかで身動きもできなくとも目をつむって祈ることができます。
顔蔽いせる者 一つの打撃がお前の頭の調和を破れば、お前は今まで祈った口でたわいもない囈言《うわこと》を語り、今まで殊勝に組み合わせた手できたならしいことを公衆の前にして見せるかもしれない
前へ
次へ
全275ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング