。もっとさびしくなるかもしれないね。今はぼんやりさびしいのが、後には飢えるようにさびしくなるかもしれない。
唯円 あなたはさびしくはありませんか。
親鸞 私もさびしいのだよ。私は一生涯《いっしょうがい》さびしいのだろうと思っている。もっとも今の私のさびしさはお前のさびしさとは違うがね。
唯円 どのように違いますか。
親鸞 (あわれむように唯円を見る)お前のさびしさは対象によって癒《いや》されるさびしさだが、私のさびしさはもう何物でも癒されないさびしさだ。人間の運命としてのさびしさなのだ。それはお前が人生を経験して行かなくてはわからない事だ。お前の今のさびしさはだんだん形が定まって、中心に集中して来るよ。そのさびしさをしのいでからほんとうのさびしさが来るのだ。今の私のようなさびしさが。しかしこのような事は話したのではわかるものではない。お前が自ら知って行くよ。
唯円 では私はどうすればいいのでしょうか。
親鸞 さびしい時はさびしがるがいい。運命がお前を育てているのだよ。ただ何事も一すじの心でまじめにやれ。ひねくれたり、ごまかしたり、自分を欺いたりしないで、自分の心の願いに忠実に従え。それ
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