とかなしみとに対するあくがれがあった。話せば取り合われないか、あるいは軽蔑《けいべつ》されるかだから、私はその心持ちをひとりで胸の内に守っていた。そのさびしさは私の心の内でだんだんとひとには知れずに育って行った。私がいよいよ山を下る前ごろにはそのさびしさで破産しそうな気がしたくらいだったよ。
唯円 お師匠様。私はこのごろなんだかさびしい気がしてならないのです。時々ぼんやりいたします。きょうもここに立って通る人を見ていたらひとりでに涙が出て来ました。
親鸞 (唯円の顔を見る)そうだろう。(間)お前は感じやすいからな。
唯円 何も別にこれと言って原因はないのです。しかしさびしいような、悲しいような気がするのです。時々は泣けるだけ泣きたいような気がするのです。永蓮《ようれん》殿はからだが弱いせいだろうと言われます。私もそうだろうかとも思うのです。けれどもそうばかりでもないように思われます。私は自分の心が自分でわかりません。私はさびしくてもいいのでしょうか。
親鸞 さびしいのがほんとうだよ。さびしい時にはさびしがるよりしかたはないのだ。
唯円 今にさびしくなくなりましょうか。
親鸞 どうだかね
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