娑婆《しゃば》の世界には望みを置かない。安養の浄土に希望をいだいている。私たちは病気をしても死を恐れることはない。死は私たちにとって失でなくて得である。安養の国に往《ゆ》いて生きるのだからである。このような意味の事を話そうと思うのです。
僧三 それは皆ほんとうです。私たち信者の何人も経験する実感です。
僧一 昔からの開山たちが、一生涯《いっしょうがい》貧しくしかも悠々《ゆうゆう》として富めるがごとき風があったのは、昔心の中にこの踴躍歓喜《ゆやくかんぎ》の情があったからであると思います。
僧二 唯円殿、あなたは何を考え込んでいられますか。
僧三 たいそう沈んでいらっしゃいますね。
僧一 顔色もすぐれませんね。お気分でも悪いのではありませぬか。
唯円 いいえ、ただなんとなく気が重たいのでございます。
僧三 そのように気のめいる時には仏前にすわって念仏を唱えてごらんなさい。明るい、さえざえした心になります。
唯円 さようでございますか。
僧一 大きな声を出してお経を読むとようございます。
僧二 一つは信心の足りないせいかもしれません。気を悪くなさいますな。私は年寄りだから言うのですからね。だ
前へ
次へ
全275ページ中74ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング