養すると書いてあります。お釈迦《しゃか》様も托鉢《たくはつ》なさいました。私も御覧のとおり行脚《あんぎゃ》いたしています。でもきょうまで生きて来ました。私のせがれもなんとかして暮らしています。
お兼 あなたにはお子様がお有りなさるのですか。
親鸞 はい。京に残してあります。六つの年に別れてからまだ会わずにいるのです。
お兼 まあ。そして奥様は?
親鸞 京を立つ時に別れましたが、私が越後《えちご》にいる時に死にましてな。
お兼 御臨終にもお会いなさらないで。
慈円 お師匠様は道のために、お上《かみ》のおとがめをこうむって御流罪《ごるざい》におなりあそばしたのでございます。奥様のおかくれあそばしたのは、その御勘気中で京へお帰りあそばす事はできなかったのです。まだ二十六のお若死にでございました。
良寛 玉日様と申してお美しいかたでございました。それから後の御苦労と申すものは、一通りではございません。なにしろ公家《くげ》の御子息――
親鸞 それはもう言うてくれるな。
お兼 (涙ぐみ)さだめしお子様に会いたい事でございましょうねえ。
親鸞 はい。時々気になりましてな。
お兼 ごもっともでございま
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