は聖なる恋ではない。我れとわが身をかきむしるのはこの世ながらの畜生道《ちくしょうどう》だ。柔和忍辱《にゅうわにんにく》の相が自然に備わるべき仏の子が、まるで狂乱の形じゃ。
唯円 おゝ。私はどうしましょう。私は自分の影を見失いそうです。(動乱する)
親鸞 待て、唯円。も一ついちばん本質的なのが残っている。お前はお前の恋人に呪いをおくってはならない。
唯円 私があの女を呪うのですって。いのちにかけても慕うている恋人を?
親鸞 そうだ。よくお聞き。唯円。そこに恋と愛との区別がある。その区別が見えるようになったのは私の苦しい経験からだ。恋の渦巻《うずまき》の中心に立っている今のお前には、恋それ自身の実相が見えないのだ。恋の中には呪いが含まれているのだ。それは恋人の運命を幸福にすることを目的としない、否むしろ、時として恋人を犠牲にする私《わたくし》の感情が含まれているものだ。その感情は憎みと背を合わせているきわどいものだ。恋人どうしは互いに呪いの息をかけ合いながら、互いに祝していると思っていることがあるのだ。恋人を殺すものもあるのだ。無理に死を強《し》うるものさえある。それを皆愛の名によってする
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