自分らの恋はより尊いものになったと思い、あとではさびしさに堪えかねて、泣いて恋人のために祈るようならば聖なる恋と言ってもいい。そのとき会わなかったことは、恋を薄いものにしないで、かえって強い、たしかなものにするだろう。それが祝福というものだ。
唯円 私のして来たことは聖《きよ》い恋の反対でした。自分の楽しさのために他人を傷つけていました。
親鸞 自分自身に呪《のろ》いをおくらないとは、自分の魂の安息を乱さないことだ。これが最も悪いことで、そして最も気のつかないことなのだ。お前は眠れないね。お前の心はうろうろして落ち付かないね。お前はやせて、色目も青ざめている。散乱した相《すがた》じゃ。お前は自分をみじめとは思わないか。(あわれむように唯円を見る)
唯円 (涙を落とす)浅ましいとさえ思います。私は宿無し犬のようにうろうろしています。(自分をあざけるように)きょう、松《まつ》の家《や》のお内儀《かみ》に、泥棒猫《どろぼうねこ》だとののしられました。私の小指ほどの価もないあの鬼ばばに!
親鸞 そのような言葉使いをお恥じなさい。お前はまったく乱れている。自分を尊敬し、自分の魂の品位を保たなくて
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