かくありたし」との希望を、「かく定められている」との運命が蹂躙《じゅうりん》してしまうのでしょうか。どのような純な、人間らしい、願いでも。
親鸞 そこに祈りがある。願いとさだめ[#「さだめ」に傍点]とを内面的につなぐものは祈りだよ。祈りは運命を呼びさますのだ。運命を創《つく》り出すと言ってもいい。法蔵比丘《ほうぞうびく》の超世の祈りは地獄に審判されていた人間の運命を、極楽に決定せられた運命にかえたではないか。「仏様み心ならば二人を結びたまえ」との祈りが、仏の耳に入り、心を動かせばお前たちの運命になるのだ。それを祈りがきかれたというのだ。そこに微妙な祈りの応験があるのだ。
唯円 (飛び上がる)私は祈ります。私は一心こめて祈ります。祈りで運命を呼びさまします。
親鸞 祈りの内には深い実践的の心持ちがある。いや、実行のいちばん深いものが祈祷《きとう》だよ。恋のために祈るとは、真実に恋をすることにほかならない。お前は今何よりもお前の祈祷を聖《きよ》いものにしなくてはならない。言いかえればお前の恋を仏のみ心にかなうように浄《きよ》めなくてはならない。
唯円 あゝ、私は仏のみ心にかなう、聖い恋をし
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