を見せてすまないとおっしゃいました。また仲居が私に酒をすすめた時に、この人にはすすめてやってくれるなとおっしゃいました。また自分は汚れているが純潔な人を尊敬するとおっしゃいました。善鸞様はいつもの自分のしているありのままのところへ私をお呼びなすったのです。見せつけるためではなく、自分を偽らないためだったのです。
親鸞 善鸞はなんのためにお前を呼び寄せたのだろう。
唯円 さびしいのですよ。私と会って話したかったのですって。私のような者をでも慰めにお呼びなさらなくてはならないとはあのかたもよほど孤独なかたです。まったくさびしそうでした。杯やお膳《ぜん》や三味線などの狼藉《ろうぜき》としたなかにすわって、酔いのさめかけた善鸞様は実に不幸そうに見えました。私は一人の人間があのようにさびしそうにしていたのを見た事はこれまでありませんでした。
親鸞 人生のさびしさは酒や女で癒《いや》されるような浅いものではないからな。多くの弱い人はさびしい時に酒と女に行く。そしてますますさびしくされる。魂を荒される。不自然な、険悪な、わるい[#「わるい」に傍点]心のありさまに陥る。それは無理はないが、本道ではない
前へ 次へ
全275ページ中137ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング