ないのでしょうね。
親鸞 「若さ」のつくり出す間違いがたくさんあるね。それがだんだんと眼《め》があかるくなって人生の真の姿が見えるようになるのだよ。しかし若い時には若い心で生きて行くより無いのだ。若さを振りかざして運命に向かうのだよ。純な青年時代を過ごさない人は深い老年期を持つ事もできないのだ。
唯円 私には人生はたのしい事や悲しい事のいっぱいある不思議な、幕の向こうの国のような気がいたします。
親鸞 そうだろうとも。
唯円 虫が鳴いていますね。(耳を傾ける)
親鸞 まるで降るようだね。
唯円 私はあの声を聞くといつも国の事が思われますの。私の家の裏の草むらでは秋になると虫がしきりに鳴きました。私のなくなった母は、よく私をおぶって裏口の畑に出ました。そしてあのこおろぎの鳴くのは、「襤褸《つづれ》針《さ》せつづれさせ」と言って鳴くのだ、貧しいものはあの声を聞いて冬の着物の用意をするのだと言って聞かせました。私はその時さびしいような、寒さの近づくような変に心細い気がしたものです。それからはあのこおろぎの声を聞くと母の事を思います。
親鸞 お兼さんがなくなってから何年になるかね。
唯円 こと
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