だから私も妻も持てば肉も食うのです。私は僧ではありません。在家のままで心は出家なのです。形に捕われてはいけません。心が大切なのです。
左衛門 でもあなたとこのままお別れするのはつろうございます。いつまた会われるのかわかりません。
お兼 せめて四、五日なりとお泊まりあそばして。
親鸞 会うものはどうせ別れなくてはならないのです。それがこの世のさだめです。恋しくおぼしめさば南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》を唱えてください。私はその中に住んでいます。
左衛門 ではどうあってもお立ちなされますか。
親鸞 縁あらばまたお日にかかれる時もございましょう。
お兼 これからどちらに向けておいでなされます。
親鸞 どこと定まったあてはありません。
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親鸞、慈円、良寛身じたくをして外に出る。夜はしらしらと明けかけている。左衛門、お兼は門口に立つ。松若も母に手を引かれて立って見送る。
[#ここで字下げ終わり]
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親鸞 私はこのようにしてたくさんな人々と別れました。私の心の中には忘れ得ぬ人々のおもかげがあります。きょうからあなたがたをもその中に加えます。私はあなたがたを忘れません。別れていてもあなたがたのために祈ります。
左衛門 私もあなたを一生忘れません。あなたのために祈ります。
お兼 おからだを大切になさってくださいまし。(涙ぐむ)
慈円 夜も明けはじめました。
良寛 雪もやんだようでございます。
親鸞 ではさようなら。
左衛門 さようなら。
お兼 さようなら。(松若に)おい、さようならをおし。
松若 おじさん、さようなら。
親鸞 (松若を衣の袖《そで》で抱く)さようなら。大きく偉くおなりなさいよ。
慈円 さようなら。
良寛 さようなら。
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親鸞、慈円、良寛、退場。左衛門、お兼、松若、涙ぐみつつ見送る。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から4字上げ]――幕――
[#改ページ]

    第二幕

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場所 西《にし》の洞院《とういん》御坊。
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本堂の裏手にあたる僧の控え間。高殿になっていて京の町を望む。すぐ下に通路あり。通行人あり。
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人物 親鸞《しんらん》            七十五歳
   松若《まつわか》改め唯円《ゆいえん》        二十五歳
   僧三人
   同行衆《どうぎょうしゅう》 六人
   内儀
   女中
   丁稚《でっち》 二人         十二、三歳
時  第一幕より十五年後
   秋の午後

僧三人語りいる。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
僧一 まだお勤めまでにはしばらく暇がありますね。
僧二 おっつけ始まりましょう。もう本堂は参詣人でいっぱいでございます。
僧三 今さらながら当流の御繁盛はたいしたものでございますね。
僧一 本堂にははいり切れないで廊下にこぼれている者もたくさんございます。なにしろきょうはあれほど帰依《きえ》の厚かった法然聖人《ほうねんしょうにん》様の御法会《ごほうえ》でございますもの。
僧二 そのはずでもありましょうよ。御存命中は黒谷《くろだに》の生き仏様とあがめられていらっしゃいましたからね。土佐《とさ》へ御流罪《ごるざい》の時などは、七条から鳥羽《とば》までお輿《こし》の通るお道筋には、老若男女《ろうにゃくなんにょ》が垣《かき》をつくって皆泣いてお見送りいたしたほどでございました。
僧三 私はあの時鳥羽の南門までお供をいたしました。それからは川舟でした。長くなった白髪《しらが》に梨打烏帽子《なしうちえぼし》をかぶり、水色の直垂《ひたたれ》を召した聖人様がお輿から出て、舟にお乗りなされた時のおいとしいお姿は、まだ私の目の前にあるようでございます。
僧一 もうおかくれあそばしてから二十三年になりますかね。月日のたつのは早いものですね。私たちの年寄ったのも無理はありませんな。
僧二 法然聖人様と申し、お師匠様と申し、ずいぶん御難儀なされたものでございますね。きょうの御繁盛もそのおかげでございますね。
僧三 浄土門今日の御威勢を法然様が御覧なされたら、さぞお満足あそばすでしょうにね。
僧二 お師匠様もだいぶお年を召しましたね。
僧一 今度の御不例は大事ありますまいか。
僧二 いいえ、ほんのお風を召したばかりでございます。
僧三 御老体ゆえお大切になされなくてはなりません。
僧一 唯円殿がだいじにお仕えなさるゆえ安心でございます。
僧二 唯円殿はお若いのによく万事気がつきますからね。
僧三 ああしておとなしい気の優しい人ですからね。
僧一 お師匠様はまた唯円殿をことのほかお寵愛《ちょうあい》なさいますよう
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