んで気が変になっていたのです。いったいにこのごろ気が変になっているのです。私が悪うございました。私は恥ずかしい気がします。私は皮肉を言ったり冷笑したりしました。(熱心になる)私はそれがいちばん気にかかります。あなたがたはさぞ私を卑しいやつだとおぼしめしたでしょう。そう思われてもしかたがありません。私はいつもはそのような事を卑しんでいました。けれど昨夜は心の中に不思議な力があって、私にそのような所業をさせてしまいました。私はその力に抵抗する事ができませんでした。
親鸞 それを業《ごう》の催しというのです。人間が罪を犯すのは、皆その力に強《し》いられるのです。だれも抵抗する事はできません。(間)私はあなたを卑しい人とは思いませんでした。むしろ純な人だと思いました。
左衛門 ようおっしゃってくださいます。私が一つの呪《のろ》いの言葉を出した時に、次の呪いの言葉がおのずからくちびるの上にのぼりました。私はののしり果たすまではやめられませんでした。あなたがたを戸の外に締め出したあとで、私の心はすぐに悔い始めました。けれど私はそれを姑息《こそく》にも酔いでごまかしました。私はけさ不思議に恐ろしい夢にうなされて目がさめました。酔いはすでにさめ果てていました。私は宵の出来事を思い返しました。そして心鋭い後悔の苦しみと、あやまりたい願いでいっぱいになりました。このままあやまらずにしまうならどうしようかと思いました。その時雪の中で凍えかけていられるあなたがたを見いだしたのです。どうぞ私を許してください。
親鸞 仏様が許してくださいましょう。あなたのお心が安まるために、私も許すと申しましょう。あなたが私に悪い事をなすったのなら。けれど私はあなたを裁きたくありません。だいち私はその価がありません。昨夜私は初めあなたの言葉を聞いた時あなたの心の善《よ》さがじきにわかりました。私は親しい心であなたに対しました。けれどあなたは私を受けいれてくれませんでした。その時私はあなたをお恨み申しました。外に追い出された時私の心は怒りました。もし奥様のとりなしの言葉が無いならば、あなたを呪《のろ》ったかもしれません。私は奥様に決して呪いませんと申しました。けれど夜がふけて寒さの身にしむにつれて、私の心はあなたがたを恨み始めました。私は決して仏様のような美しい心で念仏していたのでありません。私はだいち肉体的苦痛に圧倒されそうでした。それからあなたがたを呪う心と戦わねばなりませんでした。私の心は罪と苦しみとに囚《とら》われていたのです。
左衛門 あなたのお話はこれまでの坊様のとはちがいます。あなたは自分を悪人かのようにお話しなされます。
親鸞 私は自分を悪人と信じています。そうです。私は救い難き悪人です。私の心は同じ仏子を呪いますもの。私の肉は同じ仏子を食いますもの。悪人でなくてなんでしょうか。
慈円 お師匠様はいつもそのように仰せられます。
お兼 左衛門殿も常々そのように申します。
親鸞 (左衛門に)あなたはよいところに気がついていられます。あなたのお考えはほんとうです。
左衛門 あなたはそれで苦しくはありませんか。私は考えると自暴《やけ》になります。私は善を慕う心がございます。けれど私は悪をつくらずに生きて行く事ができません。またその悪であることを思わずにいる事もできません。これは恐ろしい事だと思います。不合理な気がします。私はしかたがないから悪くなってやれという気が時々いたします。
お兼 左衛門殿は自分を悪に耐える強い人間に鍛えあげるのだと言って、わざとひどい事に自分を練らそうとするのでございますよ。そのくせいつも心は責められているのでございますよ。それで苦しまぐれに自暴《やけ》になって、お酒など飲むのです。だんだん気が荒《すさ》んで行きますので、私もほんとに案じています。
左衛門 どうせのがれられぬ悪人なら、ほかの悪人どもに侮辱されるのはいやですからね。また自分を善《よ》い人間らしく思いたくありませんからね。私は悪人だと言って名乗って世間を荒れ回りたいような気がするのです。(間)御出家様。教えてください、極楽と地獄とはほんとうにあるものでございましょうか。
親鸞 私はあるものと信じています。私は地獄が無いはずはないという気が先にするのです。私は他人の運命を傷つけた時に、そしてその取り返しがつかない時に、私を鞭《むち》うってください、私を罰してください、と何者かに向かって叫びたい気がするのです。その償いをする方法が見つからないのです。また自分が残酷な事をした時にはこの報いが無くて済むものかという気がするのです。これは私の魂の実感です。
左衛門 私はさっきそのような気がいたしました。もしあなたがたにあやまる機会がなくて、あれぎりになってしまったら、あなたがたがいつまで
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