せん。
親鸞 そのすまぬというこころを、ありがたいという心に、ふかめてくれ。
唯円 永蓮《ようれん》様が、さっき本堂で永蓮様が(新しく涙をこぼす)私の手をお握りあそばして、ゆるしてくれとおっしゃいました。私はたまらなくなりました。私はあのかたをお恨み申していたのですもの。
親鸞 あれは律義《りちぎ》な、いい老人じゃ。
唯円 私は空おそろしいような気がいたします。私のために皆様の平和がみだれるのですもの。けれどなんということでしょう。私は永蓮様のお心をやすめることができないのです。永蓮様は涙ぐんで私をじっと見ていらっしゃいました。ひとつの大切なことを私が保証するのを待つために。けれど私は、和解とゆるしを求めるこころで、きつくその手を握り返しただけで、大切なことを言わずにしまいました。……私にはできないのです。
親鸞 それもみなで祈ってきめなくてはならないことだ。まあ心を静かにするがよい。(間。唯円をしみじみ見る)お前はやつれたな。
唯円 眠られぬ夜がつづきました。こころはいつも重荷を負うているようでございます。
親鸞 恋の重荷をな。だが、その重荷も仏さまにおまかせ申さねばならぬのじゃ。その恋の成るとならぬとは、私事ではきまらぬものじゃ。
唯円 この恋のかなわぬことがありましょうか。この私のまごころが。いえいえ、私はそのようなことは考えられませぬ。あめつちがくずれても二人の恋はかわるまいと、私たちは、いくたび、かたく誓ったことでしょう。
親鸞 幾千代かけてかわるまいとな。あすをも知らぬ身をもって!(熱誠こめて)人間は誓うことはできないのだよ。(庭をさして)この満開の桜の花が、夜わのあらしに散らない事をだれが保証することができよう? また仏さまのみゆるしなくば、一ひらの花びらも地に落ちることはないのだ。三界の中に、かつ起こり、かつ滅びる一切の出来事はみな仏様の知ろしめしたもうのだ。恋でもそのとおりじゃ。多くの男女《なんにょ》の恋のうちで、ただゆるされた恋のみが成就するのじゃ。そのほかの人々はみな失恋の苦《にが》いさかずきをのむのじゃ。
唯円 (おののく)それはあまりにおそろしい。では私の恋はどうなるのでしょう?
親鸞 なるかもしらぬ、ならぬかもしれぬ。先のことは人間にはわからぬのじゃ。
唯円 ならさずにおくものか。いのちにかけても。
親鸞 数知れぬ、恋する人々が昔から、そう誓った。そして運命に向かってか弱いかいなをふるった。そして地に倒された。多くのふしあわせな人々がそのようにして墓場に眠っている。
唯円 たすけてください。
親鸞 私はお前のために祈る。お前の恋のまどかなれかしと。これ以上のことは人間の領分を越えるのだ。お前もただ祈れ。縁あらば二人を結びたまえとな。決して誓ってはならない。それは仏の領土を侵すおそろしい間違いだ。けれど間違いもまた、報いから免れることはできないのだ。
唯円 もし縁が無かったら?
親鸞 結ばれることはできない。
唯円 そのようなことは考えられません。私は堪えられません。不合理な気がいたします。
親鸞 仏様の知恵でそれをよしと見られたら合理的なのだよ。つくられたものは、つくり主《ぬし》の計画のなかに自分の運命を見いださねばならぬのだ。その心をまかすというのだ。帰依《きえ》というのだ。陶器師《すえものし》は土くれをもって、一の土偶を美しく、一の土偶を醜くつくらないであろうか?
唯円 人間のねがいと運命とは互いに見知らぬ人のように無関係なのでしょうか。いや、それは多くの場合むしろ暴君と犠牲者とのような残酷な関係なのでしょうか。「かくありたし」との希望を、「かく定められている」との運命が蹂躙《じゅうりん》してしまうのでしょうか。どのような純な、人間らしい、願いでも。
親鸞 そこに祈りがある。願いとさだめ[#「さだめ」に傍点]とを内面的につなぐものは祈りだよ。祈りは運命を呼びさますのだ。運命を創《つく》り出すと言ってもいい。法蔵比丘《ほうぞうびく》の超世の祈りは地獄に審判されていた人間の運命を、極楽に決定せられた運命にかえたではないか。「仏様み心ならば二人を結びたまえ」との祈りが、仏の耳に入り、心を動かせばお前たちの運命になるのだ。それを祈りがきかれたというのだ。そこに微妙な祈りの応験があるのだ。
唯円 (飛び上がる)私は祈ります。私は一心こめて祈ります。祈りで運命を呼びさまします。
親鸞 祈りの内には深い実践的の心持ちがある。いや、実行のいちばん深いものが祈祷《きとう》だよ。恋のために祈るとは、真実に恋をすることにほかならない。お前は今何よりもお前の祈祷を聖《きよ》いものにしなくてはならない。言いかえればお前の恋を仏のみ心にかなうように浄《きよ》めなくてはならない。
唯円 あゝ、私は仏のみ心にかなう、聖い恋をし
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