げ]
唯円 私はきょうはこれでお暇《いとま》申します。
善鸞 そうですか。きょうはうれしい気がしました。私はもっと話したいのですけれども。
唯円 私もいつまでもいたいのですが、お師匠様に内緒で来たのですから。
善鸞 私のために苦しい思いをさせますね。許してください。きょうはいろいろと考えさせられました。ありがたい気がいたします。
唯円 私はこんなに充実して話した事はありません。きっとまた参りますからね。
善鸞 できるだけたびたび来てください。私はいつもさびしいのです。
唯円 では失礼いたします。(立ち上がり、入り口のそばまで行き振り返り、力を入れて)もしおとう様が会うとおっしゃればどうなされます。
善鸞 (考えて、きっぱりと)私は喜んで会う気です。
唯円 ではさようなら。
善鸞 (見送る)さようなら。
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唯円退場。善鸞しばらく立ったまま動かずにいる。やがて部屋《へや》の中をあちこち歩く。それから柱に背をあてて立ったままじっと考えている。
浅香絹張りの行灯《あんどん》を持ちて登場。入り口に立ちながら善鸞を見る。善鸞浅香に気がつかずにじっとしている。
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浅香 善鸞様。
善鸞 (浅香を見る)浅香お前はどう思う。ここに父と子とがある。父は諸天の恵みに浴して民は聖者と仰いでいる。子は酒肉におぼれて人は蕩児《とうじ》とさげすんでいる。父と子とは浮き世の義理に隔てられつつ互いに慕うている……
浅香 まあ、だしぬけに……(注意を集中する)
善鸞 互いに飢えている。しかし会えば父の周囲の美しい平和が傷つけられる。人々は猜疑《さいぎ》と嫌悪《けんお》の眉《まゆ》をひそめる。父の一身に非難が集まる。その時に子はどうしたらよいのであろう。会うのがよいか会わぬがよいか。
浅香 (声をふるわす)会わぬがよい。
善鸞 もし父が招いたら、迷える子よ、かえって来よと言ったら。
浅香 (苦しげに)会わぬがよい。
善鸞 おゝ。(よろめく。柱で身をささえる)
浅香 善鸞様。善鸞様。(はせよって善鸞を抱く)
善鸞 私はわからない。私は思いにあまる。私は……助けてくれ。
浅香 会わずに祈ってください。父上の平和と幸福を祈ってください。私は強くなければなりません。あなたが私に、弱いと知っていらっしゃる私に助けをお求めなさるなら。あなたはずっと前にあなたの生涯《しょうがい》の運命をきめるあぶない時に、今と同じ別れ道にお立ちなされたのではありませんか。おいとしいあなたの恋人と、おとなしいお従弟《いとこ》との一生の平和を守ってあげねばならないときに、あなたはお弱うございました。人をも身をも傷つけたとあなたは私におっしゃいました。なぜあの時泣いて耐え忍ばなかったろうと、あなたは幾度後悔なすったでしょう。たったきょうの昼間です。あなたが初めて、あなたの悲しい物語を私に打ち明けてくだすったのは。あなたは私の膝《ひざ》の上でお泣きなされました。まだ涙もかわかぬくらいです。その時あなたは私があわれな父母の犠牲になっている事をほめてくださいました。他人をしあわせにするために、苦しさを忍べとおしえてくださいました。
善鸞 お前は私の言葉をそのまま繰りかえすのだ。
浅香 (泣く)あなたに鞭《むち》をあてるのです。私のことばの強そうなこと。
善鸞 私の良心の代わりになってくれたのだ。
浅香 おいとしい善鸞様。
善鸞 そうだ。私は強くなければならない。かわゆいやつ。(浅香を強く抱く。舞台回る)
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第二場
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親鸞聖人居間
清楚《せいそ》な八畳、すみに小さな仏壇がある。床に一枚《いちまい》起請文《きしょうもん》を書いた軸が掛かっている。寝床のそばに机、その上に開いた本、他のすみに行灯《あんどん》がある。庭には秋草が茂っている。
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人物 親鸞《しんらん》 唯円《ゆいえん》 僧二人 小僧一人
時 同じ日の宵《よい》
親鸞寝床にすわって僧二人と語っている。
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僧一 ではやはりお会いなさいませぬのですな。
親鸞 うむ。(うなずく)
僧二 私もせっかくそのほうがよいと思っていたのです。
僧一 同行衆《どうぎょうしゅう》の間にいろいろな物議が起こってはおもしろくありませんからな。
僧二 口さがない世の人々はどのようなうわさを立てるかわかりません。また若い弟子《でし》たちのつまずきになってはならぬと思います。
僧一 若い弟子たちの間にはだんだんと素行の乱れたものもできだしたようでございます。木屋町のあるお茶屋から出て来るのを見たと申すものもございます。
僧二 世間ではそ
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