すればできあがるだろう。なにしろ早くしなくてはもうすぐお正月が来る。松若も来年は十二になるのだ。早く大きくなってくれなくては。ほんとに引き延ばしたいような気がする。(間)それにつけても左衛門殿のこのごろの気のすさみようはどうしたものだろう。だんだんひどくなるようだ。国にいたころはあんな人ではなかったのだけれど。ほんとに末が案じられてならない。(外をあらしの吹き過ぎる音がする)きょうもたいそう立腹して吉助《きちすけ》殿の家に行かれたのだけれど、めんどうな事にならなければよいが。(立ちあがり、戸をあけて空を見る)おゝ寒《さむ》。(身ぶるいする)また降って来るな。(戸を締め炉のはたにきたり、火かきで火をつつき手をかざす)松若はきょうはおそいこと、寒いのに早く帰って来ればよいのに。(あたりをば見回し)もう暗くなった。(立ちあがり、押し入れから行灯《あんどん》を出して火をつける。仏壇にお灯明をあげ、手を合わせて拝む)
松若 (登場。色目の悪い顔。ふくれるように着物を着ている。戸をあける)かあ様、ただ今。(ふろしき包みと草紙《そうし》とを投げ出し)おゝ寒い、さむい。(手に息を吹きかける)
お兼 おゝお帰り。寒かったろう。さあおあたり。きょうはたいへんおそかったね。
松若 (炉のそばに行く)お師匠様のうちでごちそうが出たの。皆およばれしたのだよ。それでおそくなったの。
お兼 そうかえ。それはよかったね。お行儀よくしていただいたかえ。
松若 あゝ。わしの清書が松だったのだよ。
お兼 そうかえ。それはえらいね。草紙をお見せ。この前の清書の時は竹だったにね。(松若より草紙を受け取り、広げて見る)なるほど、「朱に交われば赤くなる」だね。だいぶしっかりして来たね。も少し字配りをよくしたらなおいいだろう。丹誠《たんせい》してお稽古《けいこ》したおかげだよ。(松若の頭をなでる)
松若 吉助《きちすけ》さんとこの吉也《きちや》さんは梅だったよ。
お兼 あの子はいたずら好きでなまけるからだよ。(間)あの、ちょいと立ってごらん。(松若立つ。ものさしで丈《たけ》を測る)三寸五分だね。ではあげを短くしなくては。お前の荷物だよ。よくうつるだろう。お正月にこれを着てお師匠様の所に年始に行くのだよ。
松若 お正月はいつ来るの。
お兼 もう十二日寝ると来るよ。
松若 おとうさんは?
お兼 おとうさんは吉助殿の所へ行かれた。もうおっつけお帰りだろう。
松若 吉助のうちの吉也は私をいじめるよ。きょうもお稽古《けいこ》から帰りに、皆して私の悪口を言って。
お兼 え。悪口をいっていじめるって。ほんとかい。
松若 松若のおとうさんは渡り者のくせに、百姓をいじめたり、殺生《せっしょう》をしたりする悪いやつだって。
お兼 まあ(暗い顔をする)そんな事を言うかい。
松若 うむ。宅《うち》のおとうさんをいじめるから、私はお前をいじめてやると言って雪をぶっかけたよ。
お兼 悪いことをするやつがあるね。大丈夫だよ。私がお師匠様に言いつけてやるから。
松若 いんや。私が一度お師匠様にいいつけたら、帰り道によけいにいじめたよ。(残念そうに)道ばたの田の中に押し落としたりしたよ。
お兼 まあ。そんなひどい事をするかえ。心配おしでないよ。私が今によくしてあげるからね。
松若 うむ。(うなずく)
お兼 (戸棚《とだな》から皿《さら》に干《ほ》し柿《がき》を入れて持ちきたる)さあ、これをおあがり。秋にかあさんが干しておいたのだよ。私はちょっとお台所を見て来るからね。(裏口から退場)
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松若柿を食う。それからあたりを見回し仏壇の前に行き、立ったまま不思議そうに仏像を見る。それからすわってちょっと手を合わせ拝むまねをする。それから卓の上の本を捜し、絵本を一冊持って炉のはたにきたり、好奇心を感じたらしくめくって見る。
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お兼 (登場。前掛けで手をふきつつ)おいしかったろう。(間)何を見ているのだえ。
松若 うむ。おいしかったよ。(熱心に絵本に見入る)
お兼 今の間《ま》に少し裁縫《しごと》をしよう。(炉のはたに近く縫いさしの着物を持ちきたり針を動かす)
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両人しばらく沈黙。
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松若 かあさん。これなんの絵だえ。
お兼 (針を止めて)お見せ。(のぞき込む)それはね、お釈迦《しゃか》様という仏様がおなくなりなさった絵だよ。(針をつづける)
松若 そうかい。衣《ころも》を着たたくさんの坊さんがそばで泣いているね。
お兼 みんなお弟子《でし》たちだよ。偉いお師匠様がおかくれなされたのだからねえ。
松若 ふむ。猿《さる》だの蛇《へび》だのい
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