るね。鳩《はと》もいるよ。皆泣いてるね。どうしたのだろうね。
お兼 お釈迦様は慈悲深いおかたで畜生《ちくしょう》でもかわいがっておやりなされたのだよ。それでかわいがってくれた人が死んだので皆泣いているのだよ。
松若 ふむ。(考えている)
左衛門 (登場。猟師の装いをしている。鉄砲をかつぎ、腰に小鳥を二、三羽携えている)帰ったよ。ばかに寒い。
お兼 お帰りなさい。待っていました。寒かったでしょう。降っていますか。(戸のそばまで出て迎える)
左衛門 大雪だよ。このぶんでは道がふさがってしまうだろう。(雪を払う)
松若 とう様。お帰りなさい。(手をつき頭をかがむ)
左衛門 うむ。(頭をなでる)きょうはお師匠様とこのおふるまいだったってな。
松若 あい。よく知ってるね。
左衛門 吉助《きちすけ》かたで吉坊に聞いて来た。
お兼 あの話の首尾はどうだったの。(鉄砲を塀《へい》にかけ、獲物をかたづける)
左衛門 まるでだめだ。きょうはさんざんな目にあった。朝から山を駆け回ってやっと雑鳥が三羽だろう。それから吉助の宅《うち》に寄ったが、あのやつずるいやつでね。わしが強く出ると涙をめそめそこぼして拝み倒そうとするのだよ。それでいてこっちが優しく出ようものなら、ひどい目にあわせるのだからね。全くこの辺の百姓は手に合わないよ。(着物を着換え、炉のそばに寄る)
お兼 それでどういう話になったの。
左衛門 正月までに払わなければこっちはこっちの考えを実行するからそう思えときめつけてやったよ。そしたら吉助がまっさおになったよ。おふくろはすがりついてことわりをするしね。吉也《きちや》までそばで泣きだしたよ。
お兼 まあかわいそうではありませんか。も少し待っておやりなさいな。あの宅《うち》でもほんとうに困っているのでしょうから。
左衛門 どうだか知れたものではない。わしはあの吉助《きちすけ》が心からきらいなのだ。腹の悪いくせにお追従《ついしょう》を使って。この春だってそ知らぬ顔で宅《うち》の田地の境界を狭《せば》めていたのだ。
お兼 それは吉助も悪いには悪いけれど、そうなるのもよっぽど困るからのことですわ。
左衛門 困ると言えば宅《うち》だって困ってるではないか。こっちに移って来てからというもの、不運つづきで、少しばかりの貯《たくわ》えで買った田地は大水で流れるし、松若は病気をするし、なかなか楽な渡世ではないよ。優しくしていればきりがつかないのだ。吉助ばかりではない。この辺の百姓は皆そうだ。わしは時々|自暴《やけ》になるような気がするよ。世の中の人間が皆きらいになるよ。
お兼 でもこのお正月だけは無事に祝わせておやりなさいな。あまり手荒な事をして恨みを結んだりしては寝ざめがよくないわ。人にたたかれたのでは寝られるが、人をたたいたのでは寝られないと言うではありませんか。(間)まあ御飯をおあがりあそばせ。(裏口より退場)
左衛門 松若、お前はさっきから何を見てるのだい。
松若 かあ様の絵の本だよ。仏壇の卓にあったのだ。たくさん絵があるよ。御殿やお寺の絵もあるし、鬼が火の車をひいている絵もあるし、それから……
左衛門 はあ。あの「地獄《じごく》極楽《ごくらく》のしるべ」か。
松若 地獄極楽って私知ってるよ。善《よ》いことをしたものは死んで極楽に行くし、悪い事をしたものは地獄に行くのだろう。だがあれはほんとうかい。
左衛門 皆うそだよ。そう言って戒めてあるのだよ。(考えて)もしほんとうとしたら、地獄だけあるだろうよ。はゝゝゝ。
松若 ここに子供が川ばたでたくさん石を積んで、鬼が金棒でくずしている絵があるがこれはなんだろうね。
左衛門 (暗い顔をする)それは賽《さい》の河原《かわら》と言って子供が死んだら行く所だ。
松若 私は死んだら賽の河原へ行くのかい。
左衛門 皆うそだ。つくり話だ。(松若の顔を見る)その本はもう見るのおよし。
松若 私はなんだかこの本がおもしろいよ。
左衛門 いやそれは子供の見る本ではない。(松若より絵本を取る)お前は寒いからもうお寝《やす》みよ。また風をひくといけないからな。
松若 まだ眠くないよ。
お兼 (登場。箱膳《はこぜん》の上に徳利を載せて左衛門の前に置く)お待ち遠さま。ひもじかったでしょう。さあおあがりなさい。(徳利を持つ)
左衛門 (杯をさし出し注《つ》いでもらって飲む)お兼。わしもなひどいことをするのは元来好きなたちではないのだ。小さい時から人のけんかをするのを見ても胸がドキドキしたくらいだよ。だがあんなふうにして殿様に見捨てられて、浪人になってこっちに渡って来てから、わしは世間の人の腹の悪さをいやになるほど知ったからな。人は皆悪いのだ。信じたものは売られるのだ。心の善《よ》いものはばかな目を見せられて、とても世渡りはできないのだ
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