れません。そのようなものを武装にして身を守っているのですからね。私はそのように用心をせずに触れたいのです。自分の醜さや弱さを隠さずに交わりたいのです。このような所では人は恥ずかしい事を互いに分け持っていますからね。どれほど温《あたた》かいほんとうの接触か知れません。それに私は女の与える気分に心をひかれずにはいられません。それは実に秋の露よりもあわれです。
唯円 私は心の奥で私が女を求めているのを感じています。しかし女とはどのようなものか少しもまだわかりません。またどのようにして触れたらよろしいやら手続きがわかりません。
善鸞 (愛らしいように唯円を見る)ほんとうにあなたは純潔です。私は自分は汚《けが》れ果てていますけれど、純潔な人を尊敬します。目の色からが違いますからね。だがおそらくあなたも女で苦しまずには人生を渡る事はできますまい。私などは物心がついてから女の意識が頭から離れた事はありません。しかし私はあなたを誘うのではありませんよ。はゝゝゝ。
唯円 (まじめに)このあいだもお師匠様とそのような話をいたしました。
善鸞 父はなんと申しましたか。
唯円 恋はしてもいいが、まじめに一すじにやれとおっしゃいました。
善鸞 ふむ。
唯円 私はあなたに聞こう聞こうと思っていましたが、あなたはどうして御勘当の身とおなりなされたのですか。
善鸞 (暗い顔になる)私は道ならぬ恋をしたのです。いや、道か、道でないかは私は今でもわからぬのです。私は人妻と恋をしました。
唯円 まあ。
善鸞 女は結婚せぬ前から私を恋していたのです。この世の義理が私の手から女を奪いました。しかし私の心から恋を奪う事はできなかったのです。その後の出来事はその矛盾の生む必然的な結果でした。女の夫は私の親戚《しんせき》でした。それが悲劇を複雑にしました。私は恋ゆえに道を破った悪人になりました。(ののしるように)恋が道を破るのか、道が恋を破るのか私は今でもわかりません。
唯円 女のかたはどうなされました。
善鸞 離《さ》られてから病気になりました。私は会う事も許されませんでした。ついに女は死にました。私は死に目にも会えなかったのです。
唯円 女の夫のかたはどうなされました。
善鸞 泣いて怒りました。今でも二人の名を呪《のろ》っています。私はその人の事を思うとたまりません。私はその人を愛していました。おとなしい、善良な人でした。私はこの出来事の責任をだれに負わせるべきかがわかりません。私は悪いのに違いありません。しかしただそれきりでしょうか。私はむしろ人生の不調和に帰したいのです。もし世界をつくった仏があるならば仏に罪を帰したいのです。
唯円 おゝ、善鸞様、それは恐ろしい事です。私はあなたを愛します。私はあなたのために泣きます。どうぞ終わりの言葉を二度と言ってくださいますな。
善鸞 私は何もわかりません。何も信じられません。私は世界の成立の基礎に疑いをさしはさみます。なんという変な世界でしょう。不調和な人生でしょう。私はそれからというもの、心の中から祝福を失ってしまいました。ものの見方がゆがんで来ました。ものが信じられなくなりました。悲しみと憤りと悩みの間に、女ばかりが私の目にあかい花のように映じます。私は女の肌《はだ》にしがみついて、私の苦しみをやる道を覚えました。人は私を放蕩者《ほうとうもの》と呼びます。私はその名に甘んじます。
唯円 私はなんと申していいかわかりません。私はあなたの不幸な運命を悲しみます。あなたはほんとうにたまらない気がするでしょう。しかし仏様はどのような罪を犯したものでも、罪のままでゆるしてくださると聞いています。罪を犯さねばならぬように、つくられている人間のために、救いを成就してくださると、お師匠様から常に教わっています。
善鸞 あなたの信じやすい純な心を祝します。けれども私はそれが容易に信じられないのです。私の心が皮肉になっているのかもしれません。あまり虚偽を見すぎたのかもしれません。あまり都合よくできあがっている救いですからね。虫のいい極悪人のずるい心がつくり出したような安心《あんじん》ですからね。私は私の曲がった考え方をあなたの前に恥じます。しかし浄土門の信心は悪人の救いのように見えて、実はやはり心の純な善人でなくては信じ難いような教えですからね。私はやはり争われぬものだと思います。私が信じられぬのも私の罪や放蕩の罰と思います。あなたでも、父でも純な清い人ですからね。自分では深い罪人だと感じていらっしゃるけれど、魂を汚《けが》し過ぎると、ものがまっすぐに受け取れなくなるのです。私はずいぶんひどく汚れていますからね。とてもあなたには想像できません。たとえば(苦しそうに口ごもる)いや、とてもあなたの前では言えないような事をしていますからね。実に皮肉
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