た。待っていました。さあこちらにお通りください。だれも遠慮な者はいません。えらい所を見せますな。はゝゝゝ。
仲居 どうぞお通りくださいませ。
唯円 (座に通り、善鸞の前にすわる)先日は失礼いたしました。
善鸞 きょうは使いを立てて失礼しました。御迷惑ではありませんでしたか。
唯円 いいえ。あなたからのお使いと聞いて喜んで参りました。何か御用でございますか。
善鸞 いえ。用と言ってはありません。私はたださびしくってあなたに会って話したかったのです。
唯円 私もあなたに会いとうございました。
仲居 (新しい杯を持って来て唯円の前に置く)どうぞお持ちあそばしませ。
唯円 (もじもじする)私は飲みませんので。
仲居 でも一つ。
善鸞 いや、この人にはすすめてくれな。(唯円の不安そうなのを見て)私たちは少し話があるから皆あちらに遠慮してくれ。
仲居 かしこまりました。では皆さん。
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一同二人を残して退場。
[#ここで字下げ終わり]
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善鸞 このような所へあなたを呼んですみません。それに私はお酒に酔っています。
唯円 私はかまいません。私は喜んで来たのです。
善鸞 私はさびしかったのです。だれも私の心を理解してくれる人はありません。私はこうして酒を飲んでいても腹の底は冷たいのです。私は苦しいのです。私はこのあいだあなたと会った時から、親しい、温《あたた》かい気がするのです。私の胸の思いをすらすらと受けいれてくださるような気がするのです。あなたと向き合っていると、いろいろな事が聞いていただきたくなるのです。
唯円 私もこのあいだあなたと別れてから、あなたの事が思われてならないのです。あなたにお目にかかりたいといつも思っていました。あなたから使いの来た時にどんなにうれしかったでしょう。
善鸞 こんなに人をなつかしく思った事はずっと前に一度あったきりです。長い間私は心がすさんで来ていました。(間)私はあなたが好きです。
唯円 私はうれしゅうございます。あなたのようなかたをなぜ人は悪く言うのでしょう。私はそれがわかりません。先日も寺で皆様があなたの事を悪く言われましたから、私は腹が立ちました。そしてあのかたは善《よ》い人です。あなたがたの思っているような人ではありませんと言ってやりました。
善鸞 私の事をどのように悪く申しますか。
唯円 放蕩《ほうとう》な上に、浄土門の救いを信じない滅びの子だと申しています。父上に肖《に》ぬ荒々しい気質だと言っていましたよ。
善鸞 無理はありません。そのとおりです。私は滅びる魂なのでしょう。まったく荒々しい気質です。私は皆の批評に相当しています。
唯円 まああなたのように優しい御気質を……
善鸞 いや。(さえぎる)あなたの前に出ると私の善い性質ばかり呼びさまされるのです。しかしほかの人に向かうとまるで違って荒い気質が出るのです。
唯円 皆がよくないのだと思います。あなた自身は善いかたに違いありません。私はそれを信じています。
善鸞 (涙ぐむ)そのように言ってくれる人はありません。私は自分の気質が、自分で自由にならないのです。それには小さい時から境遇や、また私の受けた心の傷やのせいもありますがね。私は御存じのように長く父の勘当を受けているのです。
唯円 …………
善鸞 父にはいろいろな迷惑をかけましたからね。さぞ私を今でも憎んでいるでしょうねえ。
唯円 いいえ。違いますよ。お師匠様は陰ではあなたの事をどれほど案じていらっしゃるか知れませんよ。
善鸞 どうして暮らしていますか。
唯円 朝夕、御念仏三昧《おねんぶつざんまい》でございます。このあいだはお風を召しまして、お寝《やす》みなされましたが、もうほとんどよろしゅうございます。しかしだいぶお年をお召しあそばしましたよ。
善鸞 そうでしょうねえ。私はいつも稲田にいて、京へはめったに出ませんし、ことに面会もかなわぬ身で少しも様子がわかりません。私は親不幸ばかりしてはいますが、父の事は忘れてはいません。気をつけてやってください。
唯円 私はいつもおそばを離れず、お給仕申しているのです。
善鸞 父はあなたを愛しますか。
唯円 もったいないほどでございます。数多いお弟子衆《でししゅう》の中でも私をいちばん愛してくださいます。
善鸞 あなたを愛せぬ人はありますまい。あのかえでがあなたを好きだと言っていましたよ。(ほほえむ)
唯円 (顔を赤くする)御冗談をおっしゃいます。
善鸞 あなたは女というものをどんなに感じますか。私はあわれな感じがして愛せずにはいられません。ことにこのような所にいる女と触れるのが私はいちばん人間と接しているような気がします。世の中の人は形式と礼儀とで表面を飾って、少しもほんとうの心を見せてく
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