信仰の世界である。そしてそれは、さぐってもさぐっても限りないもので、だんだんと究めて行くにしたがって深い、細かい味がわかってくるのである。
 それが人間としての本当の向上というもので、ついには人間をこえたみ仏の位にまで達することができるので、そうなれば女人成仏の本懐をとげるわけである。そしてみ仏になるといっても、この人間のそのままであるところにさとり[#「さとり」に傍点]の極意があるのだ。
 アパートに住み、超モダンな身なりをし、新しい職業をもって、生活の戦いをなしつつ、しかもみ仏であり得るありがたい法が開けているのに、それに面を背けるということは本当に惜しむべきことである。
 信仰のないモダンガール、モダン婦人は多くは薄っぺらである。たといそうでなくても釘が一本足りない。しかし信仰のあるモダンガール、モダン婦人はその深みとクラシックとの対照のためにかえって非常に特色のある魅力と、ゆかしみが生じるものである。
 そのわけは近代的な思想や、感覚に強い感受性を持っているということは、生命力の活々しさと頭の鋭さとを示すものであるのに、それがまた一見古臭く、迷信的に見える宗教に深い関心をもって
前へ 次へ
全29ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング