にあらわれるということは、面白いまたありがたい事実といわねばならぬ。徳、善、道というものへの憧れのまじらないような恋愛は純真な恋愛ではない。女性は美しく、力強い男性を選ぶのだが、善い、高貴な素質をそなえた男性をこれと切り放すことなしに求めねばならぬ。恋愛するときに、この徳への憧れが一緒に燃え上がらないようなことではその女性の素質は低いものであるといわねばならぬ。何故なら恋愛するときほど、女性の心が純であるときはないのだからだ。恋愛にこの性質があるために、青年は女性によって強められ、浄められ、励まされる。一国の青年がなまけて、軽くて、使命の自覚のないその日暮らしの状態であるときには、その国の娘たちの恋愛がきっと本来の純熱を失って、その淘汰性がゆるんでいるのだと思われる。それ故くれぐれも恋愛を軽くあしらってはならぬ。このごろは結婚も恋愛結婚でなく、媒介結婚がいいなどという説がかなり行なわれているようだが、私は全然反対である。結婚はどこまでも恋愛から入らねばならぬ。こういう生命の本道というものをゆがめるところから、どんな大きな間違いが結果するであろうか。なるほど媒介結婚説は一つの社会現実の知
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