ァン・エックの聖母は如何に高貴で、美しくても「母」たるの資格がない。現実の人生においては、デューラーの聖母を選ぶべきである。すなわち、子どもを哺育し、その世話をする労務にたえ得る母、その手のあれ[#「あれ」に傍点]たるマリアでなくてはならぬ。何故なら愛は実践であり、心霊の清浄と高貴とは愛の実践によってのみ達せられるものだからである。
[#地から2字上げ](一九三四・一〇・三一)
三 恋愛――結婚(上)
恋愛は女性が母となるための門である。よき恋愛から入らずよい母となることはできぬ。女性は恋愛によって自分の産む子に遺伝し、感染させたいような諸特徴を持った男性を選ぶのである。この選択が無意識的になされるところに恋愛という本能のはたらきがあるのだ。しかしそれだからといって恋愛を母となるための手段と見るのはたりない。花は実を結ぶ手段ではあるが、実は花を咲かすための手段ともとれる。恋愛はやはり人生の開花であると見るべきだ。女性の造化から与えられているさまざまの霊能が恋愛の本能の開発する時期に同時に目をさまし、生き生きとあらわれてくる。美と力とそしてことに霊の憧憬が恋愛の感情ととも
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