学生の勤勉性を少しく買いかぶっているかもしれない。
 生と観察との独自性を失わない限りは、寸陰を惜しんで読書すべきである。すぎた多読も読まないより遙かにまさっている。
 学生時代においては読書しないとは怠惰の別名であるのが普通である。「勉強の虫」といわれることは名誉である場合が多い。われわれも学生時代に課業のほか、寄宿舎の消灯後にも蝋燭をともして読書したものである。深い、一生涯を支配するような感激的印銘も多くそうした読書から得たのである。西田博士の『善の研究』などもそうして読んだ。とぼとぼと瞬く灯の下で活字を追っていると、窓の外を夜遊びして帰った寮生の連中が、「ローベン(蝋燭の灯で勉強すること)はよせ」「糞勉強はやめろ」などと怒鳴りながら通って行く。その声を聞きつつ何か勝利感に似たものをハッキリと覚えている。
 読書は自信感を与えるものである。読書しないでいると内部が空虚になっていく。読書しない青年には有望な者はいない。天才はたとい課業の読書は几帳面でないまでも、図書館には籠って勉強するものである。
 読書にとらわれる、とらわれないというのはそれ以上の高い立場からの要請であって、勉強し
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