て読書することだけにできない者にとっては、そんな懸念は贅沢の沙汰である。
 読書に励む青年は見るからにたのもしそうである。生を愛し、人類を思う青年は読書せずにいられるものではない。孜々《しし》として読書している青年たちを見ると、あの中から世を驚かす未来の天才が出てくるのであろうかと心強い気がする。
「予を秀才といふはあたらず、よく刻苦すといふはあたれり」といった頼山陽の言は彼のすなおな告白であったに相違ない。
 つとめて書を読み、しかもそれが他人の生と労作からの所産であって、自分のそれは別になければならぬことを自覚し、他人の生にあずかり、その寄与をすなおに受けつつ、しかも自らの目をもって人生を眺め、事象を考察することのできるもの、これが理想的の読書青年である。

     三 教養の読書と専門職能の読書

 読書には人間教養のためのものと、社会において分担すべき職能のためのものとある。後者に関してはその種類が多様であるのと、技術知の習得に関するので、特に挙げてあげつらうことができない。ただこの場合において一、二の注意を述べるなら、職能に関する読書はその部門の全般にわたる鳥瞰《ちょうかん
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