ころではない、思わざるを思うためにさえもあるものである。すなわち、自己独りではとうてい想望できなかったような高い、美しいイデーや、夢が他の天才の書を読むことにより、自分の精神の視野に目ざめてくるのである。
聖書を読むまでと、読後とでは、人間の霊的道徳性はたしかに水準を異にする。プラトンとダンテとを読むと読まないとではその人の理念の世界の登攀《とはん》の標高がきっと非常に相違するであろう。
高さと美とは一目見たことが致命的である。より高く、美しいものの一触はそれより低く一通りのものでは満足せしめなくなるものである。それ故に青年時代に高く、美しい書物を読まずに逸することは恐るべく、惜しむべきことである。何をおいても、人間性の霊的・美的教養の書物は逸することを恐れて、より高く、より美しきものをと求めて読んでおかなければならないのである。
学術的、社会・経済的ないし職業専門的の書物にあっても、つとめて勤勉して読むことは、非常に必要である。現実の心得としては、おそらくさきに述べたような私の高等的忠言よりも、「読むべし、読むべし」と鞭撻すべきかもしれない。読みすぎることをおもんぱかるのは現代
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