日蓮の性格と行動とのあとはわれわれに幾度かツァラツストラを連想せしめる。彼は雷電のごとくに馳駆し、風雨のごとくに敵を吹きまくり、あるいは瀑布《ばくふ》のごとくはげしく衝撃するかと思えば、また霊鷲のように孤独に深山にかくれるのである。熱烈と孤高と純直と、そして大衆への哭くが如きの愛とを持った、日本におけるまれに見る超人的性格者であった。

     五 立正安国論

 日蓮は鎌倉に登ると、松葉《まつば》ヶ|谷《やつ》に草庵を結んで、ここを根本道場として法幡《ほうばん》をひるがえし、彼の法戦を始めた。彼の伝道には当初からたたかいの意識があった。昼は小町《こまち》の街頭に立って、往来《ゆきき》の大衆に向かって法華経を説いた。彼の説教の態度が予言者的なゼスチュアを伴ったものであったことはたやすく想像できる。彼は「権威ある者の如く」に語り、既成教団をせめ、世相を嘆き、仏法、王法二つながら地におちたことを悲憤して、正法を立てて国を安らかにし、民を救うの道を獅子吼《ししく》した。たちまちにして悪声が起こり、瓦石の雨が降《くだ》った。群衆はしかしあやしみつつ、ののしりつつもひきつけられ、次第に彼の熱誠
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