い知性や高い意志で抑えねばならぬ。私の場合ではそれほどでもない女性に、目くもって勝手に幻影を描いて、それまで磨いてきた哲学的知性もどこへやら、一人相撲をとって、独り大|負傷《けが》をしたようなものだ。これは知性上から見て恥である。
飢えと焦り
青年はあまり恋に飢え、恋の理想が強いとこうした間違いをする。相手をよく評価せずに偶像崇拝に陥る。相手の分不相応な大きな注文を盛りあげて、自分でひとり幻滅する。相手の異性をよく見わけることは何より肝要なことだ。恋してからは目が狂いがちだから、恋するまでに自分の発情を慎しんで知性を働らかせなければならぬ。よほどのロマンチストでない限り、一と目で恋には落ちぬ。二た目でそれほどでないと思えば憧憬は冷却する。自分で、自分を溺らすのが一番いけない。それほどでもない異性を恋して、大きな傷を受けるほど愚かしいことはない。
ときとして、性格によっては、恋人が欲しくてたえられないときがあるものだ。それは愛と美との要求が高まって相手が欲しくてたまらなくなるのだが、そんなとき気違いじみたことを考えるものだ。私は上野公園で音楽学校の女生徒をいちいち後をつけて、「僕を愛してくれますか」ときこうかと真面目に思ったことがある。そんなときは一番危ない。これはそんなに焦《あせ》らずとも、待っていれば運命は必ずチャンスを与えるのだ。自分がまだごく若く、青春がまだまだ永いことが自分に考えられないのだ。二十五歳まで学生時代全然チャンスがなくっても心配することはない。ましてそんなことはあり得ないことだ。恋愛のチャンス、女を知[#「知」に傍点]る機会にこと欠くようなことは絶対にない。ヴィナスが自分の番をかえりみてくれる摂理を待つべきだ。学生の場合早すぎるのは危険な場合が多いが、遅いのは心配することはない。
恋をあさる害毒
その青春時代を早期から、多くの恋愛を経験したいというような考えは捨て去らねばならぬ。何故なら、自分たちはいま結婚前であり、その準備時期にあることを忘れてはならないからだ。美しい恋愛から結婚に入らねばならぬ。それは人生の大儀だ。結婚後に性の問題に多少心ゆるむことはまだしも許される。結婚前には心を張り、体を清くして、美しい恋愛に用意していなければならぬ。自分の妻を、子どもの母をきめんための恋愛だからだ。結婚前に遊戯恋
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