愛や、情事をつみ重ねようとすることは実に不潔な、神聖感の欠けた心理といわねばならぬ。不潔なもの、散文的なもの、いかがわしいものはすべて壮年期に押しやって、その青春の庭をできるだけ浄く保たねばならぬ。そしてともかくその庭で神聖な結婚式を挙げねばならぬ。
 嫌悪すべき壮年期が如何に人生のがらくたを一杯引っくり返してあらわれてこようとも、せめて美しく、清らかな青春時代を持たねばならぬ。ましてその青春を学窓にあってすごし得ることは、五百人に一人しか恵まれない幸福である。それは学生諸君が自分で気のつかない実に大きな幸福であって、学びつつある姿勢の下で、かつ想いかつ恋し得ることは、この人生における天国ともいうべきものなのである。清らかな、熱き恋をしなければならぬのは当然な義務である。汚れた快楽など思うべきものではない。
 学生時代に汚れた快楽に習慣づけられた青年の行く先きは必ず有望なものでない。それは私の周囲に幾多の例証がある。社会的にも、人間的にも凡俗に堕《お》ちて行っている。その原因は肉体的快楽を知ることによって、あまりに大人《おとな》となり、学窓の勉強などが子どもじみて見え、努力をつみ重ねて行く根気を失うところにあるのだ。努力をあまりつまずして具体的効果を得たいという、最もいとうべき考え方の傾向が必ずそれについで起こるものだ。そしていうまでもなく、社会はそうした傾向に対して最も冷淡に報いるものだ。彼らが社会的に輝やかしい地位をかち得ないのは当然である。
 汚れた快楽を追うことの今ひとつの害毒は浪費である。このことは卒業後の生活の物質的計画をきわめて困難な、不可能に近いものに考えさせるようになる。物質的清貧の中で精神的仕事に従うというようなことは夢にも考えられなくなる。一口にいえば、学生時代の汚れた快楽の習慣は必ず精神的薄弱を結果するものだ。そして将来社会的に劣弱者となって、自らが求めた快楽さえも得られないという、あわれむべき状態に堕ちる恰好の原因となるものだ。

       遊戯恋愛の習慣

 肉慾にまで至らない軽い遊戯恋愛の習慣はこれとは別の害毒を持つものである。すなわちそれは「軽薄」という有為な青年に最も忌むべき傾向である。うち明けていえば、私はこの種の「薄っぺら」よりは、まだしも獲得の本能にもとづく肉慾追求の青年をとるものだ。「銀ぶら」「喫茶店めぐり」、背広で行く
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