の土、処々に侘しく残った潦《にわたずみ》、古めかしい香いのする本堂、鬱然《うつぜん》として厳しく立ち並んだ老木の間には一筋の爪先き上りの段道がある。その側には申し訳のような谷川がある。私共は肩をならべて登った。
 もともと君でも僕でも真心より尊き美に憧るる者である。一個の生を享《う》けてその生の骨子たらしめんとするのは「尊きもの」である。一枚の紙のみ張ってある組子の無い障子はこの間まで春風を心地よく受けてふわりふわりとしていた。秋風の寒さが吹いて来たときこれでは堪《たま》らない。何か確然としたものはないかしらと気がついた。君でも僕でもこの確乎したものは「尊きもの」でなくてはならなかった。それからというものは、お互いに血眼になって「尊きもの」を探してる。だから当然内容の如何《いかん》を問わず、ある尊きものに面接したときハッとして立ち止まる。このとき言い知れぬ懐しさを感ずるのだ。君と僕とが鎌倉で無名の社に詣でたときこれを経験したではないか。さて私はS君と滑らかな林道を辿った。私の心には懐しき尊さが訪れて僕はそれと応接すべくS君とは口を利《き》かなかった。S君の趣味があまりに低級にして、感情がいかにも粗笨に思われたからである。やがて二人は祇園《ぎおん》桜に出た。群衆は競《きそ》うてその側に集まる。紅提燈《べにぢょうちん》に灯がともる。空は灰色からだんだん暗黒になってゆく。それから都踊りを見た。私は踊りに関しては門外漢だから論じられぬが、美《うる》わしき舞子が、美わしく装うて、美わしき背景の前に、美わしく舞うたのはさすがに美わしかった。そのとき音楽ということが稲妻のごとく私の頭に光明を与えてまた行ってしまった。上野の森の夕闇の逍遙に、君が音楽の価値を論じて私共が音楽の世界にストレンジャーであるのを嘆いたが、いま花やかなる踊り場の中にあって、調子の整った三味の音、鼓、大鼓、笛の響きを聞いたとき、ほんとにそうだとつくづく思った。居合わすものはS君と君とD君とK君、お互いに舞子の顔の批評ばかりし合ってる。
 翌日嵐山、金閣寺を見物して、クラシックの匂いを慕って奈良に回ったが綺羅粉黛《きらふんたい》人跡繁くして駄目であった。ただ大仏に対して何だか色のない尊い恋というようなものを感じた。それからずうッとO市に帰ったのである。
 今日は八日、花曇りの空は重々しく垂れかかってる。こうして
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