愛と認識との出発
倉田百三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)示唆《しさ》に富める

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)|考え方《デンケンスアルト》を

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「りっしんべん+尚」、第3水準1−84−54]

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔Die Welt ist meine Vorstellung. Alles, was irgend zur Welt geho:rt ist nur fu:r das Subjekt da.〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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[#ページの左右中央]
  この書を後れて来たる青年に贈る
[#改ページ]

[#ここから4字下げ、ページの左右中央]
兄弟よ、われなんじらに新しき誡を書き贈るにあらず。すなわち始めよりなんじらのもてる旧き誡なり。この旧き誡は始めよりなんじらが聞きしところの道なり。されどわれがなんじらに書き贈るところはまた新しき誡なり。
        ――ヨハネ第一書第二章より――
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]

 版を改むるに際して

 この書は発行以来あまねく、人生と真理とを愛する青年層の人々に読まれて、数多くの版を重ね、今もなおあわただしい世相の動きにも、自己本然の真実の姿を失うまいとする、心深く、清き若き人々の間に読まれつづけている。
 私はその生命の春に目ざめて、人生の探究に出発したる首途にある青年たちにはこの書がまさしく、示唆《しさ》に富める手引きとなり得るであろうことを今も信じている。私が恃《たの》みを持つのは思想的内容そのものよりも人生に対する態度である。いかなる態度をもって生きゆくべきか、その誠と力とラディカルな自由性とは今の青年たちに感染してけっして間違いないであろう。この書はたとい思想的に未熟と誤謬とを含んでいる場合にも、純一ならぬ軽雑な何ものをもインフェクトせぬであろう。私は反語とか諷刺《ふうし》とかの片鱗をもって論述を味わいつける、大家にも普通なレトリックさえけっして
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