すものである。それ以上は出せないものである。にも関らず老人は腰から上を出していた。で、まるで水の上を、歩いているように見えるのである。
 侍はホトホト感心した。
「だが一体何流かしらん? こんな泳ぎ方ははじめてだ、まことに以て珍らしい」
 だが侍の驚きは、間も無く一層度を加えた。と云うのは老人が、愈々でて愈々珍らしい、[#「、」は底本では「。」]不思議な泳ぎ方をしたからであった。
 老人はズンズン泳いで行った。湖心に進むに従って、形が小さくなる筈を、反対にダンダン大きくなった。しかし是は当然であった。老人は泳ぐに従って、益々体を水から抜き出し、二町あまりも行った頃には、文字通り水上へ立って了ったのである。

     二

 これでは水を泳ぐのではない。水の上を辷っているのだ。
 スーッと行ってはクルリと振返り、スーッと行ってはクルリと振返る。
 侍は腕を組んで考え込んだ。
「む――」と侍は唸り出して了った。だが軈て呟いた。「南宗流乾術《なんそうりゅうけんじゅつ》第《だい》一|巻《まき》九|重天《ちょうてん》の左行篇《さぎょうへん》だ! あの老人こそ鵞湖仙人だ! ……今に消えるに相違無
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