が出来なかった。
このころ東巖子《とうがんし》という仙人が、岷山《みんざん》の南に隠棲していた。
で、李白はそこへ走った。
聖フランシスは野禽を相手に、説教をしたということであるが、東巖子も小鳥に説教した。彼は道教の道士であった。
彼が山中を彷徨《さまよ》っていると、数百の小鳥が集まって来た。頭に止まり肩に止まり、手に止まり指先へ止まった。そうして盛んに啼き立てた。
それへ説教するのであった。
李白はそこへかくまわれる[#「かくまわれる」に傍点]ことになった。
ある日李白が不思議そうに訊いた。
「小鳥に説教が解《わか》りましょうか?」
「馬鹿なことを云うな、解るものか。あんなに無暗《むやみ》と啼き立てられては、第一声が通りゃアしない」
「何故集まって来るのでしょうか?」
「俺が毎日餌をやるからさ。小鳥にもてる[#「もてる」に傍点]のもいいけれど、糞を掛けられるのは閉口だ」
一度彼が外出すると、彼の道服は鳥の糞で、穢ならしい飛白《かすり》を織るのであった。
「一体道教の目的は、どこにあるのでございましょう?」
ある時李白がこう訊いた。
「つまりなんだ、幸福さ」
「幸福を
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