った。
杜甫は随分傲慢であった。弱い癖に豪傑を気取り、不良青年の素質もあった。ひどく愛憎が劇しかった。それに肺病の初期でもあった。立身出世を心掛けた。その顔色は蒼白く、その唇は鉛色であった。いつもその唇を食いしばっていた。人を見る眼が物騒であった。相手の弱点を見透しては、喰い付いて行くぞというような、変に物騒な眼付であった。威嚇的な物の云い方をした。その癖すぐに泣事を云った。
決して感《かんじ》のいい人間ではなかった。
体質から云えば貧血性であったが、気質から云えば多血質であった。
いつも不平ばかり洩らしていた。
だが意外にも義理堅く、他人の恩を強く感じた。
忠義心が深かった。
義理堅いのをのぞき[#「のぞき」に傍点]さえすれば、彼は実に完全に、近代芸術家型に嵌まった。
彼の幼時は不明であった。
が、彼の詩を信じてよいなら――又信じてもよいのであるが――七歳頃から詩作したらしい。
「往昔十四五、出デテ遊ブ翰墨《かんぼく》場、斯文崔魏《しぶんさいぎ》ノ徒、我ヲ以テ班揚ニ比ス、七齡思ヒ即チ壮、九齡大字ヲ書シ、作有ツテ一|襄《のう》ニ満ツ」
すなわちこれが証拠である。
「
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