んかガタ落ちだ。だがマアマア結構なことだ。御世万歳、文運隆盛、大いに友達に紹介しよう」
「話せる奴でもいるのかい?」
「杜甫という奴がちょっと話せる」
「聞かないね、そんな野郎は」
「だが会って見な、面白い奴だ。だがちっと[#「ちっと」に傍点]ばかり神経質だ」
「そんな野郎は嫌いだよ」
「まあまあそういわずに会って見なよ。君とは話が合うかもしれない。ひょっとか[#「ひょっとか」に傍点]すると好敵手かもしれない」
「幾歳《いくつ》ぐらいの野郎だい?」
「そうさな、君よりは十二ほど若い」
「面白くもねえ、青二才じゃアないか」
「止めたり止めたり食わず嫌いはな」
「どうも仕方がねえ、会うだけは会おう」
杜甫は名門の出であった。
左伝癖《さでんへき》をもって称された、晋の杜預の後胤であった。曾祖の依芸《いげい》は鞏県《きょうけん》の令、祖父の審言《しんげん》は膳部員外郎であった。審言は一流の大詩人で、沈※[#「にんべん+全」、第4水準2−1−41]期《ちんせんき》、宋之門《そうしもん》と名を争い、初唐の詩壇の花形であった。
父の閑《かん》は奉天《ほうてん》の令で、公平の人物として名高か
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